12 源氏物語

 

『源氏物語』の執筆開始は、夫藤原宣孝(のぶたか)と死別した1001年から、中宮彰子に出仕し1005年までの間と思われ、1021年頃までには前漢が完成していたことが、『更級日記』から知られる。

紫式部の生没年は不明だが、幼いころに母親を亡くし、父親の家で成長し、漢籍の講義を傍らで聞いているだけで会得し、男でないことを残念がってはいたが、優れた漢詩人になっていても、最高傑作を失うことになっていたであろう。

 

宣孝は、当時40代半ばで何人もの妻妾をもち、24歳の息子を筆頭に子どもの数も多く、宣孝の人格より、年齢の差と家族環境にあったようで、996年越前に赴任する父親に同行していたが、998年の春一人で京へ戻り、その年の秋結婚をした。

翌年、娘(大弐三位)が生まれ、結婚生活は幸せだったようだが、結婚後三年も満たないうちに夫が亡くなり、紫式部にとって大変な衝撃だったが、藤原道長の手で、才能ある女房たちが集められ紫式部もその一員として迎えられた。

 

一条天皇は周囲の宮廷女性から『源氏物語』の評判を聞き、朗読を聞いた天皇は、作品からうかがわれる漢籍の知識を誉め、紫式部のことを『日本紀』に精通しているに違いないといわれ、それまでの物語と違い、構成がしっかりして筋が通っているという意味だったのではなかろうか。

 

第一帖「桐壺」から書き始めたと考えるのが自然かもしれないが、そうではないという説も昔から唱えられており、『若紫』の巻が最初だったとする説も繰り返し唱えられているのだ。(20210913)

源氏物語の研究』(武田宗俊)によると、紫上を主要人物とする十七帖が『源氏物語』の原型であり、のちに、玉鬘を主要人物とする十六帖がそこに適宜はさみこまれて、『源氏物語』第一部三十三帖が完成したという。

しかし、物語を再開したとき、どのような理由からか紫式部の世界観が変わっており、第一部で語られた光源氏の栄光だが、第二部ではにわかに曇りはじめ、すべては、朱雀院の女三宮が光源氏に降嫁することから始まる。

 

第三部は光源氏の死後の出来事が語られ、ここの登場人物は、いずれも目を見張るほど美しく才能に恵まれているが、同時に明らかな欠点を持つ人々で、第一部・第二部の登場人物より、紫式部の周辺にいた現実の人間に近い人物であろう。

その生活を彩る喜びと悲しみは、紫式部の日記に登場する人々にも共感しやすい身近な感情だったと思われ、『源氏物語』を読み終わって未完と感じる読者は多いだろうが、日本の学者には、これが未完の大作とは全く考えられていない。

 

『源氏物語』は、その美しさだけでなく難解さでも有名で、過去、詳しい注釈書もほとんどなく、現代日本語での満足な役もなかったころは、高度の教養を持つ日本人でさえ、原作を読むよりウェイリーの英訳を読むほうが優しいと告白していた。

文体でもう一つ注目すべきことは、ほとんど800首にも上る和歌が文中にちりばめられていることであり、歌は文章を美しく飾っているだけでなく、語りの叙情性を生むのに大きな働きをしていることがわかる。

【追伸】

 

『源氏物語』の散文と歌ほど、大和言葉の秘めた表現力を見せてくれる作品はほかにない。(20210920)

『源氏物語』に語られている時代は原文中の様々な手がかりから、聖代と仰ぎ見られた醍醐天皇の治世(897-930)に始まり、ほぼ紫式部自身まで生きた時代まで続き、光源氏のモデルは、醍醐天皇の第十皇子、源高明(914-983)ったという説が有力である。

作品には超自然的な現象も現れ、特に六条御息所の生霊・死霊であるが、人を傷つけ、殺すことさえある憎しみや妬みをあらわしたものだと解釈する向きもあるが、、当時の一般的な日本人同様、紫式部もそうした霊の信じていたと考えるべきだろう。

 

『源氏物語』の登場人物は個性的に書き分けられていて、紫上・葵上・六条御息所・玉蔓など、それぞれの言動を他と混同することはなく、物語が進むにつれ、登場人物は年を取り経験を積んで、人間的成長を遂げていく。

その意味で、古物語より女流日記に多くを負った作品、特に『蜻蛉日記』の影響は大きく、女性が私的な考えを日記に書き記すという伝統がなければ、紫式部も『源氏物語』を書けなかったのではないだろうか。

 

光源氏は十二歳で元服し、四歳年上の葵上と結婚するが、藤壺の魅力から抜け出せず、それが結婚生活の破綻の一因にもなるが、皮肉なことに、妻の葵上は光源氏の魅力を受け付けないただ一人の女性であり、光源氏のほうも、葵上が死の床に横たわるまで、その美しさに気づかなかったのだ。

藤壺との刹那的な関係から息子が生まれたが、これは桐壺帝の子として冷泉帝となり、やがて出生の秘密も知り、太上天皇に準ずる地位を光源氏に授け、予言されたごとく、光源氏の栄誉はここに極まり、多くの学者は「藤裏葉」の巻で『源氏物語』第一部が完結すると考えている。

【追伸】

 

かの平安時代の陰陽師、安倍晴明(921-1005)も、年齢はかけ離れてはいたが、紫式部と同じ時代であった。(20210907)

第二部の冒頭では、出家した朱雀院が女三宮をもらってくれるよう光源氏に頼み込むのだが、長年いろいろな女性と関係を持ってきた光源氏だが、最も愛しているのは間違いなく紫上である。

しかし、その紫上は、正室とするには身分の低い生まれで、結局、光源氏は朱雀院の頼みを受け入れざるを得なくなり、それまでの六条院は調和と静けさが支配する場所だったが、その調和が破られる。

 

かつて、流謫中の光源氏が証の方との間に子をなしたとき、子どものいない紫上はそれを恨みはしても、控えめな明石の方を特に敵視することもなく、生まれた子を自分の子として喜んで養育した。

しかし、今度の相手は、朱雀院の女三宮という高貴な生まれであり、いくら光源氏に慰められても、夫の愛情が奪われはしないかと不安で仕方がなく、世を捨てて尼になりたいと思うも反対され出家は留まるも、病の床に伏したのである。

 

光源氏は心配のあまり、しばらくは女三宮をかまうどころではなく、光源氏が紫上を見舞いで留守をしている間に、かねてから女三宮に激しく恋をしていた柏木は、短くも罪深い関係を持つのであった。

第二部は、紫上の死後、光源氏が初めて公の場に姿を現すところで終わるが、その姿は、以前にもまして、美しく見えたとあるが、「光、かくれ給ひにし後」と、「匂宮」の巻から第3部に入る。

 

『源氏物語』最終部の主人公は、光源氏の孫の匂宮、そして柏木と女三宮の間に生まれた薫という、二人の若い貴公子である。

匂宮と薫は浮舟-をめぐって争い、その三角関係を苦にした浮舟は自殺をはかろうとするが、もはやスーパーヒーローの不在により、読者はこの部分の登場人物(430人余り)に一番身近に感じるのかもしれない。

【追伸】

 

光源氏は、母が苦しんだことを紫上に強いることになり、父と同じ悩みを持つことになる。(20211004)

光源氏自身は、特に複雑な人間ではないが、その記述に費やされる殆どのページに、読者に光源氏の存在を信じさせずにはおかないちょっとした描写がある。

たとえば「若紫」の巻は、まだ十歳の少女だったのちの紫上を、光源氏が見初める巻であるが、ここの没頭部分は、光源氏の人物像を効果的に浮かび上がらせる記述で埋まっている。

 

少女の養育を任せてもらう光源氏は、優しい父親または兄のようであったかもしれないが、光源氏は大きくなったら結婚しようと約束するも、そのときがくれば、読者にとっても残酷な場面なのである。

しかし、その誠実さは、赤鼻の末積花のように、生活の面倒を見ることはもちろん、相手の夢見る理想的な恋人をいつまでも演じ続けた。

 

結果的に最も悲惨だったのは、気位の高い六条御息所の恋愛関係だろうが、生霊となって葵上を殺すだけでなく、死霊となって紫上に祟るのである。

 

それでも、『源氏物語』のヒロインは紫上であり、藤壺の変わりに過ぎなかったかもしれないが、光源氏は恋愛の天才であり、どの女性にも完璧な対応をしており、ただ空蝉だけには拒絶されている。(20211011)

第二部でも、光源氏が重要な人物であることは変わりないが、最も心に残るのは頭中将の息子で、光源氏の妻の女三宮と通じる柏木であるが、激情にかられて、最も尊敬する男の妻と関係を持つが、それは喜びも安心ももたらさない。

こうして女三宮は柏木との不倫の子薫を生んだが、産後の肥立ちが悪く、その命を救うために最後の手段として父朱雀院が出家を許し、剃髪を行ったが、次の朝、加持の折に物の怪が姿を現すのだ。

 

柏木が死んだ次の巻では、未亡人落葉宮への夕霧の求愛が語られ、妻である雲居雁は娘を連れて父親の家に帰ってしまい、夕霧は父親より一回りも二回りも小さな光源氏であり、気のない落葉宮に執着する様はみっともなく、最後には滑稽でさえある。

光源氏が生涯で最も愛した二人の女性、藤壺と紫上の思い出に浸る日が、一日、また一日と過ぎていくが、光源氏はまだ出家の決意を実行せず、大晦日には匂宮が鬼やらいに駆け回るのを眺め、この孫にもやがて別れを告げなければならないと寂しく思うところで、「幻」の巻は終わる。

 

第四十二帖、第四十三帖、第四十四帖は、どの写本にも必ず含まれているが、紫式部の手になるものかどうか疑問視する学者も多く、第四十二帖「匂宮」だけは、文学的にはそれまでの各巻より劣るものの、物語の展開に必要とも思えるが、他の二巻は余談といってよいものである。

 

いずれにしろ、この三帖を読み終えて最後の十帖にたどりつくとほっとし、即ち、《橋姫、椎本、総角、早蕨、宿木、東屋、浮舟、蜻蛉、手習、夢浮橋》の【宇治十帖】のことで、『源氏物語』の中でも出色の出来と考える人は多い。(20211018)

宇治への旅は、「入りもてゆくままに、霧ふたがりて、道も見えぬ、しげきの中を、わけ給ふに、いと、荒ましき風のきほひ(吹き競い)に、ほろほろと、落ちみだるる木の葉の露の、散りかかるも、いと冷やかに・・・」などと記されている。

宇治につづく人影のない山道には、山賊の危険もあり宇治という名前自体が「憂し」を連想させ、宇治十帖の背景にはつねに宇治川の陰気な流れがあり、匂宮と薫という二人の恋人への想いに引き裂かれ、浮舟が悲しみのあまり身を投げるのも宇治川である。

 

浮舟は、宇治に隠棲する八宮(光源氏の異母弟)の娘で、川の流れは瞑想の邪魔になるが、八宮はここで仏道の修行に精進し、聖と仰がれており、柏木と女三宮の子薫は、今や読書好きの若者に成長し、宗教にも心ひかれている。

旅の苦労もいとわず、薫は何度も何度も宇治に足を運び、その友人でありライバルでもある匂宮は、薫の頻繁な宇治行きを恋愛がらみとにらみ、二人の姫君(大君と中君)のことを知って、やはりと思うが、薫の関心ははじめから姫君にあったのではない。

 

結婚しないことを心に誓っている大君は、薫と異母妹の中君を結び付けようと考え、薫は匂宮を中君に取り持ち、香るさえも信頼できなくなった大君は心労が重なり、苦しみから解き放たれるには死ぬしかないと考え始めるが、間もなく本当に死んでしまう。

薫は中君から腹違いの妹浮舟のことを聞き、その妹が大君によく似ていると知って興味を覚え、ある日、戸の割れ目から浮舟の姿を盗み見ると、大君に似ていることは驚くばかりであった(読者は、紫上が藤壺によく似ていたことを想い出すだろう)。

 

薫は、決して浮舟に夢中なのではなく、契りを結んでからも、大君と引き比べて、やはり少し劣るようだと思わずにはいられないが、相手を思いやり、いつも正しく振舞っていたが、やがてこのロマンスに匂宮が気づき、薫の声色を使って、強引にちぎってしまう。

 

もはや、浮舟の絶望は、『源氏物語』に登場する誰の絶望よりも深く、川に身を投げようと決心するのだが、この宇治十帖は、人間存在の悲しみが単なる言葉でない時代の物語であり、登場人物は光源氏よりずっと暗い世界に住んでいる。(20211025)

紫式部が最も注視したのは、人間の感情という、人間生活で時間の影響を最も受けにくい要素だったが、登場人物の感情は現代人にも容易に理解でき、読者はこの作品が驚くほど新しい印象を受ける。

平安時代の日本と現代とで大きく隔たっているはずの生活の諸側面でさえ、見過ごすことはやさしく、例えば、宮廷女性はいつも几帳や屏風に隠れ、男性の目にはふつう触れなかったが、いくらそう聞かされても、これは現代の読者には信じがたいことである。

 

紫式部がどういっていようと、読者は几帳や屏風を消去しながら読むことになり、当時の女性の容貌さえ、いつも心にとどめておくことは難しく、当時の女性は歯を黒く染め、眉毛を剃り落とし、代わりに額に眉を引いていた。

けれども、『源氏物語』に登場する女性たちを思い描くとき、読者は、古い挿絵にあるどれも同じ顔をした女性たちではなく、自分が実際に見知っている、日本の女性の顔を考えているのである。

 

アーサー・ウェイリーは「紫式部の作品は、スペインのある地方によくみられる洞窟のようで、洞窟内の空間から空間を移動して歩くと、岩の自然な連なりが我々の知るありとあらゆる彫刻作品の似姿として立ち現われて来る」と、紫式部の作品と現代作家の作品の類似性を否定しない。

 

『源氏物語』が日本文学に占める地位は、英文学におけるシェークスピア、イタリア文学におけるダンテ、スペイン文学におけるセルバンテスと同様であ、世界で初めて書かれた長編小説として世界文学の記念碑的作品でもある。(20211101)