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家持と女性たち

大伴 家持(718-785)は、『万葉集』の編纂に関わった歌人であり、長歌・短歌など合計473首が『万葉集』に収められている。

突然ながら、前項で平群氏女郎の歌が披露されたので、ついでに家持とかかわった女性の相聞歌を紹介しておくと、天平四(732)・五年頃に、①笠郎女(29首万395-397、587-610,1451・1616)②山口女王(6首万613-617,1617)③大神女郎(2首万618,1505)、天平五・六年以降④中臣女郎(5首万675-679)、天平八年以前?⑤河内百枝娘子(2首万701・702)、天平八年頃~11年九月頃⑥巫部(かんなぎべ)麻蘇娘子(4首万703・704,1562,1621)、天平八年頃⑦日置長枝娘子(1首万1564)、天平八年頃以降⑧粟田女娘子(2首万707・708)、天平十一年秋以降⑨坂上大嬢(11首万581-584,729-731,735、737・738,1624)、天平十一年~十三年頃⑩紀女郎(12首万643-645、762・763,776,782,1452、1460・1461,1648,1661)、天平十三年頃⑪安部女郎(4首万505・506、514、516)、天平十七・十八年頃⑫平群氏女郎(12首万3931-3942)などとされている。

 

家持の官歴は、天平10年(738年)( 日付不詳:見内舎人)から始まり、時期不詳ではあるが、正六位上が授与され、天平17年(745年) 正月7日:従五位下、 天平18年(746年) 3月10日:宮内少輔。6月21日:越中守となるのである。

【春相聞】

08 1451 笠女郎贈大伴家持歌一首

08 1451 水鳥之(みづとりの)鴨乃羽色乃(かものはいろの)春山乃(はるやまの)於保束無毛(おほつかなくも)所念可聞(おもほゆるかも)

 

【夏相聞】

08 1505 大神女郎贈大伴家持歌一首

08 1505 霍公鳥(ほととぎす)鳴之登時(なきゆくときは)君之家尓(きみがやに)徃跡追者(ゆけとおひしも)将至鴨(いたりけむかも)

 

【秋雑歌】

08 1562 巫部麻蘇娘子鴈歌一首

08 1562 誰聞都(たれききつ)従此間鳴渡(こゆなきわたる)鴈鳴乃(かりがねの)嬬呼音乃(つまよぶこゑの)乏知在乎(ともしくもあるか)

08 1563 大伴家持和歌一首

08 1563 聞津哉登(ききつやと)妹之問勢流(いもがとはせる)鴈鳴者(かりがねは)真毛遠(まこともとほく)雲隠奈利(くもがくるなり)

08 1564 日置長枝娘子歌一首

08 1564 秋付者(あきづけば)尾花我上尓(をばながうへに)置露乃(おくつゆの)應消毛吾者(けぬべくもわは)所念香聞(おもほゆるかも)

08 1565 大伴家持和歌一首

08 1565 吾屋戸乃(わがやどの)一村芽子乎(ひとむらはぎを)念兒尓(おもふこに)不令見殆(みせずほとほと)令散都類香聞(ちらしつるかも)

 

【秋相聞】

08 1616 笠女郎贈大伴宿祢家持歌一首

08 1616 毎朝(あさごとに)吾見屋戸乃(わがみるやどの)瞿麦之(なでしこが)花尓毛君波(はなにもきみは)有許世奴香裳(ありこせぬかも

08 1617 山口女王贈大伴宿祢家持歌一首

08 1617 秋芽子尓(あきはぎに)置有露乃(おきたるつゆの)風吹而(かぜふきて)落涙者(おつるなみたは)留不勝都毛(とどめかねつも)

08 1621 巫部麻蘇娘子歌一首

08 1621 吾屋前之(わがやどの)芽子花咲有(はぎわわらふも)見来益(みにきませ)今二日許(いまふつかだみ)有者将落(あらばちりなむ)

 

花:[音]ケ(呉) カ(漢)[訓]はな (表内)わ(表外)

 咲:[音]ショウ(呉・漢)[訓]さ-く(表内)わら-う、え-む(表外)

 

08 1624 坂上大娘秋稲蘰贈大伴宿祢家持歌一首[坂上大娘の、秋の稲の蘰(かつら)を大伴宿祢家持に贈れる歌一首]

08 1624 吾之蒔有(わがまける)早田之穂立(わさだのほたち)造有(つくりたる)蘰曽見乍(かづらぞみつつ)師弩波世吾背(しのはせわがせ)

【万1622・23】は、題辞に【大伴田村大嬢の妹坂上大嬢に与へたる歌二首】とあり、そして【万1625】の題辞には、【大伴宿祢家持の報(こた)へ贈れる歌一首】、さらに【万1626】の題辞は、【また、身に着けたる衣を脱きて、家持に贈れるに報へたる歌一首】なのだが、その左注には、【右の三首(1624・25・26)は、天平十一年己卯の秋九月に往来せり】とある。

 

08 1626 秋風之(あきかぜの)寒比日(さむきこのころ)下尓将服(したにきむ)妹之形見跡(いもがかたみと)可都毛思努播武(かつもしのはむ)

 

明らかに、この歌は亡妾のことを謳っており、それはまさしく、大娘の妹大伴坂上二嬢としか考えられない。

【冬相聞】 

08 1661 紀少鹿女郎歌一首

08 1661 久方乃(ひさかたの)月夜乎清美(つくよをきよみ)梅花(うめのはな)心開而(こころひらけて)吾念有公(あがもへるきみ)

08 1662 大伴田村大娘与妹坂上大娘歌一首

08 1662 沫雪之(あわゆきの)可消物乎(けぬべきものを)至今尓(いままでに)流経者(ながらへぬるは)妹尓相曽(いもにあひます)

 

『曽』の字には少なくとも、曽(ゾウ)・ 曽(ゾ)・ 曽(ソウ)・ 曽(ソ)・ 曽す(ます)・ 曽ち(すなわち)・ 曽て(かつて)・ 曽なる(かさなる)の8種の読み方が存在する。

 

08 1663 大伴宿祢家持歌一首

08 1663 沫雪乃(あわゆきの)庭尓零敷(にはにふりしき)寒夜乎(さむきよを)手枕不纒(たまくらまかず)一香聞将宿(ひとりかもねむ)

大伴 田村大嬢(おおとも の たむら の おおおとめ、生没年不詳)は、大伴宿奈麻呂の娘であり、坂上大嬢・坂上二嬢の異母姉である。

万葉集巻四、巻八に、異母妹坂上大嬢に贈った歌のみ九首残っており、妹思いであったことがうかがわれる。

04 0701 河内百枝娘子贈大伴宿祢家持歌二首[河内百枝娘子の大伴宿祢家持に贈れる歌二首(天平八年以前)]

04 0701 波都波都尓(はつはつに)人乎相見而(ひとをあひみて)何将有(なにあらむ)何日二箇(いづれのひにか)又外二将見(またよそにみむ)

04 0702 夜干玉之(ぬばたまの)其夜乃月夜(そのよのつくよ)至于今日(けふまでに)吾者不忘(あれはわすれず)無間苦思念者(まなくおもへば)

04 0703 巫部麻蘇娘子歌二首[巫部麻蘇娘子(かむなぎべのまそのをとめ)の歌一首(天平八年~十一年九月)]

04 0703 吾背子乎(わがせこを)相見之其日(あひみしそのひ)至于今日(けふまでに)吾衣手者(わがころもでは)乾時毛奈志(ふるときもなし)

04 0704 栲縄之(たくなはの)永命乎(ながきいのちを)欲苦波(ほりしくは)不絶而人乎(たえずてひとを)欲見社(みまくほりこそ) 

河内百枝娘子(かわちの-ももえおとめ)は、女官とも遊女ともいわれており、 巫部麻蘇娘子 (かんなぎべの-まそのおとめ)も、家持(718-785)の周辺にいた女性といわれている。

08 1560 大伴坂上郎女跡見田庄作歌二首[大伴坂上郎女の跡見田庄にして作れる歌二首]

08 1560 妹目乎(いもがめを)始見之埼乃(はつみのさきの)秋芽子者(あきはぎは)此月其呂波(このつきごろは)落許須莫湯目(ちりこすなゆめ)

08 1561 吉名張乃(よなばりの)猪養山尓(ゐかひのやまに)伏鹿之(ふすしかの)嬬呼音乎(つまよぶこゑを)聞之登聞思佐(きくがともしさ)

08 1562 巫部麻蘇娘子鴈歌一首[巫部麻蘇娘子の雁の歌一首]

08 1562 誰聞都(たれききつ)従此間鳴渡(こゆなきわたる)鴈鳴乃(かりがねの)嬬呼音乃(つまよぶこゑの)乏知在乎(ともしくもあるか)

08 1563 大伴家持和歌一首

08 1563 聞津哉登(ききつやと)妹之問勢流(いもがとはせる)鴈鳴者(かりがねは)真毛遠(まこともとほく)雲隠奈利(くもがくるなり)

08 1564 日置長枝娘子歌一首[日置長枝娘子の歌一首(天平八年頃)]

08 1564 秋付者(あきづけば)尾花我上尓(をばながうへに)置露乃(おくつゆの)應消毛吾者(けぬべくもあも)所念香聞(おもほゆるかも)

大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ、生没年不詳)は、大伴旅人の異母妹で、家持の叔母、そしてで姑でもあるのだ。

日置長枝娘子 (へきのながえのをとめ)の歌は、あたかも亡妾の声のように響いてくるのではなかろうか?

04 0705 大伴宿祢家持贈童女歌一首[大伴宿祢家持の童女に贈れる歌一首]

04 0705 葉根蘰(はねかづら)今為妹乎(いまするいもを)夢見而(いめにみて)情内二(こころのうちに)戀渡鴨(こひわたるかも)

04 0706 童女来報歌一首

04 0706 葉根蘰(はねかづら)今為妹者(いまするいもは)無四呼(なかりしを)何妹其(いづれのいもぞ)幾許戀多類(ここだこひたる)

04 0707 粟田女娘子贈大伴宿祢家持歌二首[粟田女娘子の大伴宿祢家持に贈れる歌二首(天平八年頃)]

04 0707 思遣(おもひやる)為便乃不知者(すべのしらねば)片垸之(かたもひの)底曽吾者(そこにぞあれは)戀成尓家類(こひなりにける)注土垸之中 〔土垸の中に注せり〕    

04 0708 復毛将相(もうあはむ)因毛有奴可(よしもあらぬか)白細之(しろたへの)我衣手二(あがころもでに)齋留目六(いはひとどめむ)

04 0709 豊前國娘子大宅女歌一首[豊前国の娘子大宅女の歌一首]未審姓氏〔いまだ姓氏を審らかにせず〕

04 0709 夕闇者(ゆふやみは)路多豆多頭四(みちたづたづし)待月而(つきまちて)行吾背子(いませわがせこ)其間尓母将見(そのまにもみむ)

04 0710 安都扉娘子歌一首

04 0710 三空去(みそらゆく)月之光二(つきのひかりに)直一目(ただひとめ)相三師人之(あひみしひとの)夢西所見(いめにしみゆる)

04 0711 丹波大女娘子歌三首

04 0711 鴨鳥之(かもとりの)遊此池尓(あそびしいけに)木葉落而(こばおとし)浮心(うきたるこころ)吾不念國(わがおもはなく)

04 0712 味酒呼(うまさけを)三輪之祝我(みわのはふりが)忌杉(いはふすぎ)手觸之罪歟(てふれしつみか)君二遇難寸(きにあひかたき)

 

き【貴】:[音]キ(呉)(漢)[訓]たっとい とうとい たっとぶ とうとぶ

 

04 0713 垣穂成(かきほなす)人辞聞而(ひとごとききて)吾背子之(わがせこが)情多由多比(こころたゆたひ)不合頃者(ふごうのころも)  

童女の歌は相聞済みとすれば、粟田女娘子2首・豊前國娘子1首・安都扉娘子1首、そして丹波大女娘子3首で、全七首であり、それに応えた家持の歌が続く。

04 0714 大伴宿祢家持贈娘子歌七首

04 0714 情尓者(こころには)思渡跡(おもひわたれど)縁乎無三(よしをなみ)外耳為而(よそのみにして)嘆曽吾為(なげきぞあがす)

04 0715 千鳥鳴(ちどりなく)佐保乃河門之(さほのかはとの)清瀬乎(きよきせを)馬打和多思(うまうちわたし)何時将通(いつかかよはむ)

04 0716 夜晝(よるひると)云別不知(いふわきしらず)吾戀(あがこふる)情盖(こころはけだし)夢所見寸八(いめにみえきや)

04 0717 都礼毛無(つれもなく)将有人乎(あるらむひとを)獨念尓(かたもひに)吾念者(われはおもへば)惑毛安流香(まどひもあるか)

04 0718 不念尓(おもはぬに)妹之咲儛乎(いもがゑまひを)夢見而(いめにみて)心中二(こころのうちに)燎管曽呼留(もえつつぞをる)

04 0719 大夫跡(ますらをと)念流吾乎(おもへるわれを)如此許(かくばかり)三礼二見津礼(みつれにみつれ)片念男責(かたもひをせむ)

04 0720 村肝之(むらきもの)情摧而(こころくだけて)如此許(かくばかり)余戀良苦乎(あがこふらくを)不知香安類良武(しらずかあらむ)

 

『類』の字には少なくとも、類(ルイ)・ 類(リツ)・ 類(ライ)・ 類る(にる)・ 類(たぐい)・ 類える(たぐえる)・ 類い(たぐい)の7種の読み方が存在する。

良:[音]ロウ(呉)リョウ(漢)ラ(慣)[訓]よ-い(表内)い-い、まこと-に、やや(表外)

 類(ライ)+良(ラ)=(ら)

確かに、娘子ら4人への、七首の歌かもしれないが、それぞれの歌に呼応しているとは思われず、たったひとりの娘子二嬢に対して謳われたものである。

平群氏女郎の歌については、前回で公開しているので省くけれど、家持は14・5歳から歌のやり取りをしていたことになる、

そして家持は、天平11年(739)に妾と呼ばれる人を亡くしているけれど、それは家持が21歳ごろのことになるのだ。

やはりこの妾が誰なのか気になるところだが、必ず、和歌のやり取りをしているはずだし、それを伏せているのにどのような経緯があるかわからないけれど、さしずめ大嬢の妹二嬢(おおおといらつめ)だと思っているが、今のところ決め手となる万葉歌はない。

04 0505 安倍女郎歌二首

04 0505 今更(いまさらに)何乎可将念(なにかおもはむ)打靡(うちなびき)情者君尓(こころはきみに)縁尓之物乎(よりにしものを)

 

『乎』の字には少なくとも、乎(ゴ)・ 乎(コ)・ 乎(オ)・ 乎(を)・ 乎(や)・ 乎(かな)・ 乎(か)の7種の読み方が存在する。

『可』の字には少なくとも、可(コク)・ 可(カ)・ 可い(よい)・ 可し(べし)の4種の読み方が存在する。

将:[音] ソウ(呉)ショウ(漢)[訓]たか、すすむ、かつり、もって、ひきい-る、まさ、はた、まさ-に、ゆき、む(表外)

 

04 0506 吾背子波(わがせこは)物莫念(ものなおもひそ)事之有者(ことゆくも)火尓毛水尓母(ひにもみづにも)吾莫七國(われなけなくに) 

天平十七年九月十七日 天皇は次のように勅した。

朕はこの頃病気がちで、不安な容態が十日以上続いている。思うにこれはわが政道に過失があり、人民が多く法にふれ苦しんでいることによるのであろう。そこで天下に大赦を行うが、平常の赦しでは許されない者も、悉く赦免することにする。