天智父子と額田母子
667年 - 3月、近江大津宮へ遷る(天智41歳・大友19歳・十市14歳、そして額田王30)
高山波(かぐやまは)雲根火雄男志等(うねびををしと)耳梨與(みみなしと)相諍競伎(あひあらそひき)神代従(かむよより)如此尓有良之(かくにあるらし)古昔母(いにしへも) 然尓有許曽(しかにあれこそ)虚蝉毛(うつせみも)嬬乎(つまを)相挌良思吉(あらそふらしき)【万-13】
『相』の字には少なくとも、相(ソウ)・ 相(ジョウ)・ 相(ショウ)・ 相ける(たすける)・ 相(さが)・ 相(あい)の6種の読み方が存在する。
『挌』の字には少なくとも、挌(ラク)・ 挌(キャク)・ 挌(カク)・ 挌る(なぐる)・ 挌つ(うつ)の5種の読み方が存在する。
『良』の字には少なくとも、良(ロウ)・ 良(リョウ)・ 良い(よい)・ 良(やや)の4種の読み方が存在する。
うつろ・う〔うつろふ〕【移ろう】: 心変わりする。変心する。
うつろわ・す〔うつろはす〕【移ろはす】:住居を変えさせる。引っ越しさせる。
『思』の字には少なくとも、思(シ)・ 思(サイ)・ 思う(おもう)・ 思しい(おぼしい)の4種の読み方が存在する。
『吉』の字には少なくとも、吉(キツ)・ 吉(キチ)・ 吉い(よい)の3種の読み方が存在する。
虚蝉毛(うつせみも)嬬乎相(つまをさがしに)挌良思吉(うつろわしきと)
「このわたしも、まるで妻(宮)を探しに行くようなもので、心移りしているのかも」
その題辞には【中大兄近江宮御宇天皇三山歌】とあり、大和三山と言えば藤原京(持統時代)になるけれど、しかしここでは、慣れ親しんだ飛鳥京というよりも、大和国との決別を詠っているのだが、その反歌もある。
高山与(かぐやまと)耳梨山与(みみなしやまと)相之時(あひしとき)立見尓来之(たちてみにこし)伊奈美國波良(いなみくにはら)【万-14】
三山でいちばん高い山は畝傍山なのだが、ここでは天の香具山を高山としており、おそらく名を憚ったのであるから(たかやま)と呼ぶべきかもしれない。
香久山:大和三山の中で、最も神聖視されており、「天の」を冠するのは、天から降り来た 山と言われており、その山の位置や山容が古代神事にふさわしいゆえに、あがめら れたものだとも思われています。
いな 【否】:相手の問いに対して、それを否定するときに発する語。
い‐な:(終助詞「い」に終助詞「な」が付いたもの) 軽い感動を表わす。
みくにはら【国原】:「広びろとした国土」の意で、その国の美称。
たかやまと みみなしやまと あひしとき たちてみにこし いなみくにはら
「天から降りてきたという香久山と、耳成山が出会ったときに、美国原が誕生したに違いない」
大友皇子は、淡海帝(天智天皇)の長男であり、頑強な体つきで、風采はなかなか立派で、眼の輝きは清く澄み、目を動かすときは耀くようであったという。
この大津宮において、皇子と皇女は婚姻することになり、母である額田王も近江へと同行し、その折の歌も万葉集にある。
味酒(うまざけ)三輪乃山(みわのやま)青丹吉(あおによし)奈良能山乃(ならのやまの)」
山際(やままに)伊隠萬代(いかくるまで)道隈(みちのくま)伊積流萬代尓(いつもろまでに)委曲毛(つばらにも)見管行武雄(みつつゆかむを)數〃毛(しばしばも)見放武八萬雄(みさけむやまを)情無(こころなく)雲乃(くもの)隠障倍之也(かくそうべしや)【万17】
これを、できるだけ5・7調になおして読むために、それぞれの万葉仮名をgooのモジナビを使って呼び出してみる。
『味』の字には少なくとも、味(ミ)・ 味(マチ)・ 味(ビ)・ 味(バツ)・ 味(バイ)・ 味わう(あじわう)・ 味(あじ)の7種の読み方が存在する。
『能』の字には少なくとも、能(ノウ)・ 能(ナイ)・ 能(ドウ)・ 能(ダイ)・ 能(タイ)・ 能(グ)・ 能(キュウ)・ 能くする(よくする)・ 能く(よく)・ 能き(はたらき)・ 能う(あたう)の11種の読み方が存在する。
『數』の字には少なくとも、數(ソク)・ 數(ソ)・ 數(スウ)・ 數(ス)・ 數(ショク)・ 數(ショ)・ 數(シュク)・ 數(シュ)・ 數(サク)・ 數(しばしば)・ 數える(かぞえる)・ 數(かず)の12種の読み方が存在する。
『放』の字には少なくとも、放(ボウ)・ 放(ホウ)・ 放す(ゆるす)・ 放す(まかす)・ 放(ほしいまま)・ 放る(ほうる)・ 放る(ひる)・ 放れる(はなれる)・ 放つ(はなつ)・ 放す(はなす)・ 放く(さく)・ 放く(こく)の12種の読み方が存在する。
『情』の字には少なくとも、情(セイ)・ 情(ジョウ)・ 情け(なさけ)・ 情(こころ)・ 情(おもむき)の5種の読み方が存在する。
『乃』の字には少なくとも、乃(ノ)・ 乃(ナイ)・ 乃(ダイ)・ 乃(アイ)・ 乃(の)・ 乃(なんじ)・ 乃ち(すなわち)の7種の読み方が存在する。
『隠』の字には少なくとも、隠(オン)・ 隠(イン)・ 隠れる(かくれる)・ 隠す(かくす)の4種の読み方が存在する。
『障』の字には少なくとも、障(ショウ)・ 障てる(へだてる)・ 障ぐ(ふせぐ)・ 障る(さわる)の4種の読み方が存在する。
『倍』の字には少なくとも、倍(バイ)・ 倍(ハイ)・ 倍す(ます)・ 倍く(そむく)の4種の読み方が存在する。
『之』の字には少なくとも、之(シ)・ 之く(ゆく)・ 之(の)・ 之(これ)・ 之の(この)の5種の読み方が存在する。
『也』の字には少なくとも、也(ヤ)・ 也(エ)・ 也(イ)・ 也(や)・ 也(また)・ 也(なり)・ 也(か)の7種の読み方が存在する。
あじ‐ざけ 【味酒】: (上代語「うまさけ(味酒)」を誤読して生じた語) 上等の酒。
い‐かく・る【い隠る】:《「い」は接頭語》隠れる。
くま【隈】 : 曲がって入り込んだ所。
い‐きょく【委曲】:上代語「つばら」詳しく細かなこと。
かさ 【嵩】:重なった物の高さ、また、大きさ。
ま・す 【増す】:ふえる。激しくなる。
うまざけの みわのやまなり あおによし ならよきやまの やまぎわの いかくるまでに
みちのくま いつもるまでに つばらにも みつつゆかむを しばしばも みさけむやまを
こころなく くもはすなはち かくさふべしや
三輪山乎(みわやまを)然毛隠賀(しかもかくすか)雲谷裳(くもだにも)情有南畝(こころあらなむ)可苦佐布倍思哉(かくさふべしや) 【万-18】
この長歌と短歌は、確かに、近江の国に下る時に作られた歌かもしれないが、斉明天皇が亡くなって六年経過するとはいえ、これこそ宝皇女(天皇)への挽歌のような気がする。
668年 - 1月、即位。2月、大海人皇子(58)を皇太弟とする。
天智天皇(42)の蒲生野行幸は天智七年(668)五月五日。
大海人皇子(58)・中臣鎌足(54:614-669)ほか諸王群臣すべてを率いて薬狩りが催された。(額田王31・大友20・十市15)
茜草指(あかねさす)武良前野逝(むらさきのゆき)標野行(しめのゆき)野守者不見哉(のもりはみずや)君之袖布流(きみがそでふる)【万20】【額田王】
おそらくこの時、大友皇子(20)も参加していたであろうが、その時、額田王(31)の歌が披露されたのである。
紫草能(むらさきの)尓保敝類妹乎(にほえるいもを)尓苦久有者(にくくあらば)人嬬故尓(ひとづまゆゑに)吾戀目八方(あれこひめやも)【万21】【大海人皇子】
にくし/憎し:(こちらがしゃくに障るほど優れているという意味から転じて)あっぱれだ、関心だ。
『有』の字には少なくとも、有(ユウ)・ 有(ウ)・ 有つ(もつ)・ 有る(ある)の4種の読み方が存在する。
『者』の字には少なくとも、者(シャ)・ 者(もの)の2種の読み方が存在する。
う・し 【憂し】:自分自身の、思い通りにならず晴れ晴れとしない(内にこもる)気持ちが強く、つらい。
むらさきの にほえるいもを にくくうし ひとづまゆゑに あれこひめやも
宴などでおおやけに披露したざれ歌だったかもしれないが、ひょっとしたらこの歌が、大友の夢の話につながったかもしれない。
というのが、皇子の夢に、「天の中がたちまち開き、朱色の衣を着た老翁が現れ、日を手に持っていて、それをささげ、皇子に授けた」という。
ところが、「突然、人が腋の中から出てき、たちまち日を奪い持ち去った」のを驚きあやしみ、詳しく藤原の内大臣(鎌足)に語ったのである。
大臣は嘆息しつつ、「おそらく聖朝万歳の後、悪賢いもので間隙を狙うものが現れるでしょう。 しかし、臣が聴くところでは、天の道というのは取り立てて誰かに親しくすることはなく、天は然るべきものを扶けるということです。
願うことは、大王は勤めて徳を修めなさい、そうすれば災異などは、憂えるに足りません」
十市皇女(16)は、翌年の天智天皇8年(669年)頃に葛野王(かどののおう:669-706)を産んだ。(大友21)
近江大津宮御宇天皇代 天命開別天皇謚曰天智天皇 01 0016 天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌
冬木成(ふゆこもり)春去来者(はるさりくれば)不喧有之(なかずありし)鳥毛来鳴奴(とりもきなきぬ)不開有之(さかずありし)花毛佐家礼杼(はなもさけれど)山乎茂(やまをしみ)入而毛不取(いりてもとらず)草深(くさふかみ)執手母不見(とりてもみず)秋山乃(あきやまの)木葉乎見而者(このはをみては)黄葉乎婆(もみつをば)取而曽思努布(とりてぞしのふ)青乎者(あをきをば)置而曽歎久(おきてぞなげく)曽許之恨之(そこしうらめし)秋山吾者 (あきやまわれは)【万16】
う・し 【憂し】:つらい。苦しい。
(なかずうし)・(さかずうし)
『曾』の字には少なくとも、曾(ゾウ)・ 曾(ゾ)・ 曾(ソウ)・ 曾(ソ)・ 曾す(ます)・ 曾ち(すなわち)・ 曾て(かつて)・ 曾なる(かさなる)の8種の読み方が存在する。
『許』の字には少なくとも、許(コ)・ 許(ク)・ 許(キョ)・ 許す(ゆるす)・ 許(もと)・ 許り(ばかり)の6種の読み方が存在する。
『之』の字には少なくとも、之(シ)・ 之く(ゆく)・ 之(の)・ 之(これ)・ 之の(この)の5種の読み方が存在する。
曽許(そのもとは)之恨之(これぞうらめし)秋山吾者 (あきやまわれは)
ついでながら、 額田王下近江國時作歌【万17】に井戸王即和歌がある。
綜麻形乃(そまかたの)林始乃(はやしのさきの)狭野榛能(さのはりの)衣尓著成(きぬにつくなす)目尓都久和我勢(めにつくわがせ)【万19】
『綜』の字には少なくとも、綜(ソウ)・ 綜(ス)・ 綜える(まじえる)・ 綜べる(すべる)・ 綜(おさ)の5種の読み方が存在する。
『麻』の字には少なくとも、麻(マ)・ 麻(バ)・ 麻れる(しびれる)・ 麻(あさ)の4種の読み方が存在する。
そま‐かた【杣方/杣形】:草や木の茂った所。
さ‐のはり【さ野榛】: (「さ」は接頭語) 野に生える榛。
はしばみ【榛】: カバノキ科の落葉低木で、雌雄同株だが、春、葉に先だって枝先に黄褐色の雄花を尾状花序に密生し、その下部に紅色の雌花を上向きにつける。
井戸王 (いのへのおおきみ)がどのような人かはわからないけれど、「右の一首の歌は、今考えてみると、和せし歌らしくない。ただし、旧い本にこの順序に載せてあるので、やはりここに載せておく」とあるのだが、これは十市皇女のうたであり、(わがせ)はもちろん大友皇子であろう。
時代は下がるが、永享元年(1429)七月、豊田中坊と井戸氏の抗争が引き金となって大和永享の乱が起こった。
当時、大和は北和の筒井氏と南和の越智氏とが対立関係にあり、筒井氏は縁故関係にある井戸氏を応援し、越智氏は豊田中坊に味方した。
大和国衆は筒井派と越智派に二分されて、各地で戦いが繰り返されたが、ときの十市の惣領遠栄はそれまでの越智方の立場を改めて、幕府方の筒井氏とともに井戸氏に味方した。
とはいえ、十市氏と井戸氏の結びつきが当時どのように強かったのか知らないけれど、このことが、十市皇女の歌であるという裏付けにならないことは承知しているが・・・。