15 説話文学

平安末期に際立って文学的発展の一つに、「説話文学」の隆盛があり、この時期、昔話・寓話・譬話の類が幅広く収集され、編纂された。

集められた説話の中には、昔から口承されてきた民話もあるし、大陸から伝わった儒仏の漢籍から脚色されたものもある。

 

由来は様々ながら、多くの説話は、締めくくりに仏教その他の「教訓」を含むという共通語を持っている。

例えば、かなり俗な話やきわどい話であっても、編者は最後にー時にはかなり強引にー教訓を垂れることで、それを説話集に拾い上げている。

 

殆どが短い話で、数ページ以上にわたることはまれで、文学的価値は様々だが、二十世紀の作家や批評家が指摘するように、同時代の王朝物語の衰弱ぶりと比べると、これらの説話には力強さと新鮮さがある。

 

主要な説話集こそ十二世紀から十三世紀初期に集中しているものの、九世紀に最古の説話集『日本霊異記』(822年?成立)が編纂されてから、十二世紀に最大の説話集『今昔物語集』(1120-1449成立)が編まれるまで、色々の説話集が成立している。(20211227)

もっともよく知られている日本の昔話といえば、浦島太郎の話だが、この話は、713年の『丹後国風土記』に初出し、十三世紀に編纂された『古事談』のものが有名である。

文字による個人的創作としての説話文学は、『日本霊異記』(景戒)に始まり、仏や菩薩が日本の信者の祈りと善行に感応し、様々な奇蹟を表したことが漢文で語られている。

 

平安時代の説話文学で、最初に取り上げるべき作品は、『三宝絵』だが、出家した尊子内親王(966-985)の教育用に、源為憲(941?-1011)が984年に編んだ説話集である。

『百座法談聞書抄』(1110年)は、当時の説教の方法と言葉遣いを垣間見せてくれる貴重な資料で、その数は三十五話(天竺:十八・震旦:十六話・本朝:一話)ある。

 

『打聞集』にも、インド・中国・日本の仏教説話が二十七話集められており、1134年に僧栄源が書き写したものらしい。

 

編者の目的は、自分または他人のために説教の手控えを作ることにあったようで、説教に適宜織り込んで、説教を面白く聞かせるための仏教説話の集である。(20220110) 

今昔物語』全体で、最も読みごたえがあるのは、本朝説話群で、当時の日本人の日常生活を描いた話が数多くあり、儒仏の経典のやや堅苦しい翻訳口調から、日本人庶民を扱った最終十巻の砕けた文体へと徐々に変化していく。

全ての説話は「今は昔」で始まり、「…となむ語りつたへたるとや」でおわるの決まり文句は、『今昔物語』で初めて使われるようになったのか、以前から伝統的に使われていたのかはわからなし、なぜ説話ごとに繰り返さなければならなかったのかもわからない。

 

『今昔物語』のインド説話と中国説話には、中国で編まれた二つの仏教説話集を出典とするものが多く、まず、非濁(?-1063)編の『三宝感応要略録』からは中国説話の部だけで五十五話がとられており、説話配列法の面でも『今昔物語』のモデルになっている。

また、650年ごろに唐僧の唐臨(600-959)によって編まれた『冥報記』からは、四十八話がとられており、このように、『今昔物語』の編者は、仏教説話を仏典から直接とることをせず、この二作品をはじめ、二次的資料に頼っている。

 

儒教説話でも事情は同じで、四書より、もっと通俗的な儒教文献からとった話が多く、本朝関係の仏教説話も、『日本霊異記』『三宝絵』、その他の二次的資料から多くとっており、戦の話は『将門記』や『陸奥話記』、宮廷生活の話は『伊勢物語』『大和物語』、各種和歌集の他、散逸した説話集からも取られている。

 

『今昔物語』を読むことの喜びは、主として平安時代の生活をかいまみられることにあり、過去を描いた文書として貴重であり、作品としての魅力もないわけではないが、巧みに作られている話はむしろまれであり、『今昔物語』の話をもとにして原作を超える作品に仕立て上げた例は、題材の豊富さと語りの未熟さを、二つながら証明する事実と言えよう。(20220117)

1943年、『今昔物語』の異本とみなされていたひとつの説話集が、実は全く別の作品であることが明らかになり、これ以後、混同を避けるために『古本説話集』という名前で呼ばれるのだが、

どちらも「今は昔」で始まる。

同じ題材でも、全く違う話に見えることがあり、大江 匡衡(おおえ の まさひら)と妻赤染衛門の登場では、説話集は、衛門が見にくい夫に嫌悪感を抱く点を強調しているのに対し、物語は、別の女に傾きかけた夫の心を、愛情で取り戻す話になっている。

 

『本朝神仙伝』37人の日本の「神仙」の生涯を、儒学者大江匡房が語った漢文説話集だが、1097年ごろの作とされ、題名の「神仙」から明らかに道教の影響が感じられ、弘法大師や慈覚大師など多くの僧を取り上げながら、語りの主眼は、仏典の知識の奥深さより、不老不死になったり空を飛んだりという奇跡のほうに置かれている。

大江匡房が著わしたとされる漢文説話集はいくつかあるが、もっとも有名なのは『江談(ごうだん)抄』で、曾祖父匡衡をほめたたえている話はいくつもあるが、他の大江一族の業績も遠慮なく数え上げており、大江家の始祖音人(おとんど:811~877)については、今自分があるのはこの先祖のおかげだと言っており、自伝的要素が含まれていることも魅力の一つである。

 

平安末期説話集の中には、中国の歴史上の人物だけを扱ったものがいくつかあり、もっともよく知られているのが『唐物語』で、表題から見て、唐版『大和物語』として編まれたものだろうが、最近の研究によると、編者は藤原成範(1135-87)で、平治の乱でさらし首になった信西の息子である。

 

『蒙求和歌』の序文には、1204年、源光行(1163-1244)が編んだとあり、納めている250の説話は、いずれも『蒙求』から翻訳したもので、編者の創意工夫は、話の要点を読み込んだ和歌を末尾に配しているところにあり、原話の中から平安時代の日本語に滑らかに溶け込む部分だけを拾い出し、訳出している。(20220124)

源顕兼(1160-1215)が編纂した『古事談』は、ほぼすべての説話を既存の説話集から借用しており、編者自身の声はあまり聞こえてこないが、天皇を始めとする貴人に関しても憚らず、その秘事を暴き、正史とは別世界の人間性あふれる王朝史を展開している。

顕兼の貢献は、主として分類・整理の方法にあり、全体を①王道・后宮(こうぐう)②臣節③僧行(そうぎょう)④勇士⑤神社・仏寺⑥亭宅・諸道の六巻に分け、そこに四百六十二話を配分した。

 

『古事談』は、多かれ少なかれ宮廷に密着した説話集だが、時には宮廷人以外に人物も登場するし、舞台も都に限定されてはいない。

あらゆる説話集の中で文学的に最も優れているのは、『宇治拾遺物語』で、正確な成立年はともかく、鎌倉時代初期だったことは疑いない。

 

古今著聞集(ここんちょもんじゅう)は、13世紀前半の人、伊賀守橘成季(なりすえ)説話集で、事実に基づいた古今の説話を集成することで、懐古的な思想を今に伝えようとするものである。

20巻30篇726話からなり、釈教・政道忠臣・和歌・管絃歌舞・好色・武勇・博奕・偸盗・興言利口・哀傷・魚中禽獣といった三十の項目を設け、その項目ごとに説話を年代順に配列しており、『今昔物語集』に次ぐ大部の説話集である。

【追伸】

 古今著聞集は、1254年(建長6年)10月頃に一旦成立し、後年増補がなされ、今昔物語集・宇治拾遺物語とともに日本三大説話集とされる。(20220207)