万葉集Ⅲ虫麻呂 前篇
09 1753 撿税使大伴卿登筑波山時歌一首(719) 并短歌(常陸国:茨城県)
09 1753 衣手(ころもでの)常陸國(ひたちのくにの)二並(ふたならぶ)筑波乃山乎(つくはのやまを)欲見(よくみると)君来座登(きみきませりと)熱尓(ほとばりし)汗可伎奈氣(あせをかきなげ)木根取(このねとり)嘯鳴登(うそぶきなくと)峯上乎(みねのへを)公尓令見者(きみにみすれば)男神毛(をのかみも)許賜(ゆるしたまひし)女神毛(めのかみも)千羽日給而(ちはひたまひて)時登無(ときとなく)雲居雨零(くもゐあめふる)筑波嶺乎(つくはねを)清照(さやにてらして)言借石(いふかりし)國之真保良乎(くにのまほらを)委曲尓(つばらかに)示賜者(しめしたまへば)歡登(うれしみと)紐之緒解而ひものをときて)家如(いへのごと)解而曽遊(とけてぞあそぶ)打靡(うちなびく)春見麻之従者(はるみましゆも)夏草之(なつくさの )茂者雖在(しげくはあれど)今日之樂者(けふゆくたのしさ)
09 1754 反歌
09 1754 今日尓(けふのひに)何如将及(いかにおよばむ)筑波嶺(つくはねに)昔人之(むかしのひとの)将来其日毛(きけむそのひも)
この「大伴卿」を大伴旅人に比定する説によれば、養老3年(719年)頃に虫麻呂が常陸国にいたこととなり、当時の常陸守・藤原宇合の下僚であった可能性が論じられてきた。
しかし、検税使の史料初出が『撰定交替式』によると天平6年(734年)であることから、養老3年まで遡れないとする考え方や、加えて『万葉集』の当該作品の前に天平3年(731年)の歌が配列されていることからも、虫麻呂の作品を天平6-7年のものとして、「大伴卿」を大伴道足や大伴牛養に比定する説もある。
09 1757 登筑波山歌一首 并短歌
09 1757 草枕(くさまくら)客之憂乎(かくのうれへを)名草漏(なぐさもる)事毛有哉跡(こともありやと)筑波嶺尓(つくはねに)登而見者(のぼりてみれば)尾花落(をばなおち)師付之田井尓(しづくのたゐに)鴈泣毛(かりなくも)寒来喧奴(さむさはきけぬ)新治乃(にひばりの)鳥羽能淡海毛(とばのあふみも)秋風尓(あきかぜに)白浪立奴(しらなみたちぬ)筑波嶺乃(つくはねの)吉久乎見者(よけくをみれば)長氣尓(ながきけに)念積来之(おもひつみこし)憂者息沼 (うれへはやみぬ)
にひ-ばり 【新治・新墾】:荒れ地を新たに開墾したこと。また、その土地。
09 1758 反歌
09 1758 筑波嶺乃(つくはねの)須蘇廻乃田井尓(すそみのたゐに)秋田苅(あきたかる)妹許将遣(いもがりやらむ)黄葉手折奈(もみちたをらな)
すそ-み 【裾回・裾廻】:山のふもとの周り。「すそわ」とも。◆「み」は接尾語。
た-ゐ 【田居】:田。たんぼ。田のあるような田舎。
『許』の字には少なくとも、許(コ)・ 許(ク)・ 許(キョ)・ 許す(ゆるす)・ 許(もと)・ 許り(ばかり)の6種だが、《「かあ(処在)り」の音変化》で、その人のもとに、の意を表し、万葉仮名(がり)【▽許】が誕生した。
09 1759 登筑波嶺為嬥歌會日作歌一首 并短歌
09 1759 鷲住(わしのすむ)筑波乃山之(つくはのやまの)裳羽服津乃(もはきつの)其津乃上尓(そのつのうへに)率而(あどもひて)未通女壮士之(をとめをとこの)徃集(ゆきつどひ)加賀布嬥歌尓(かがふかがひに)他妻尓(ひとづまに)吾毛交牟(あれもまじらむ)吾妻尓(わがづまに)他毛言問(ひともこととへ)此山乎(このやまを)牛掃神之(うしはくかみの)従来(きたるより)不禁行事叙(いさめぬわざぞ)今日耳者(けふのみは)目串毛勿見(めぐしもなみそ)事毛咎莫(こともとがむな)
嬥歌者東俗語曰賀我比 (かがひ)
あども・ふ 【率ふ】:ひきつれる。
かが・ふ 【嬥歌ふ】:男女が集まって飲食し、踊り歌う。
『禁』の字には少なくとも、禁(ゴン)・ 禁(コン)・ 禁(キン)・ 禁める(とどめる)・ 禁める(いさめる)・ 禁む(いむ)の6種の読み方が存在する。
めぐ・し 【愛し・愍し】:切ないほどかわいい。いとおしい。
09 1760 反歌
09 1760 男神尓(をのかみに)雲立登(くもたちのぼり)斯具礼零(しぐれふり)沾通友(ぬれとほるとも)吾将反哉 (われかへらめや)
09 1760 右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出
09 1745 那賀郡曝井歌一首(常陸国:茨城県)
09 1745 三栗乃(みつぐりの)中尓向有(なかにむかへる)曝井之(さらしゐの)不絶将通(たえずかよはむ)彼所尓妻毛我(そこにつまもが)
09 1746 手綱濱歌一首(常陸国:茨城県)
09 1746 遠妻四(とほづまし)高尓有世婆(たかにありせば)不知十方(しらずとも)手綱乃濱能(たづなのはまの)尋来名益 (たづねきなまし )
『方』の字には少なくとも、方(モウ)・ 方(ボウ)・ 方(ホウ)・ 方に(まさに)・ 方しい(ただしい)・ 方(かた)・ 方(かく)の7種の読み方が存在する。
09 1780 鹿嶋郡苅野橋別大伴卿歌一首 并短歌(常陸国:茨城県・下総国(千葉県)
09 1780 牡牛乃(おすうしの)三宅之滷尓(みやけのかたに)指向(さしむかふ)鹿嶋之埼尓(かしまのさきに)狭丹塗之(さにぬりの)小船儲(をぶねをもうけ)玉纒之(たままきの)小梶繁貫(をかぢしじぬき)夕塩之(ゆふしほの)満乃登等美尓(みちのとどみに)三船子呼(みふなこを)阿騰母比立而(あどもひたてて)喚立而(よびたてて)三船出者(みふねいでなば)濱毛勢尓(はまもせに)後奈美居而(おくれなみゐて)反側(はんそくし)戀香裳将居(こひかもをらむ)足垂之(あしずりし)泣耳八将哭(なくにやなかむ)海上之(うなかみの)其津乎指而(そのつをさして)君之己藝歸者(きみがこぎしも)
しじ-ぬ・く 【繁貫く】:(船のかいなどを)たくさん取り付ける。
ふな-こ 【船子・舟子】:楫取(かじと)りの下にあって船を操る者。水夫。「水手(かこ)」とも。
あども・ふ 【率ふ】:ひきつれる。
こい-まろ・ぶ 【臥い転ぶ】:ころげ回る。身もだえてころがる。
『耳』の字には少なくとも、耳(ニョウ)・ 耳(ニ)・ 耳(ジョウ)・ 耳(ジ)・ 耳(みみ)・ 耳(のみ)の6種の読み方が存在する。
09 1781 反歌
09 1781 海津路乃(うみつぢの)名木名六時毛(なぎなむときも)渡七六(わたらなむ)加九多都波二(かくたつなみに)船出可為八 (ふなですべしや)
09 1781 右二首高橋連蟲麻呂之歌集中出
常陸国と上総国、そして上野国の3国は、平安時代には、国守に必ず親王が補任される親王任国となり、国級は大国に格付けされていたと言い、おそらくなら時代においても、この二国については朝廷の管理下に入っていたであろう。
09 1738 詠上総末珠名娘子歌一首 并短歌(上総国:千葉県)
09 1738 水長鳥(しながとり)安房尓継有(あはにつぎたる)梓弓(あづさゆみ)末乃珠名者(すゑのたまなは)胸別之(むなわけの)廣吾妹(ひろきわぎいも)腰細之(こしぼその)須軽娘子之(すがるをとめの)其姿之(そのしなの)端正尓(ただしくまさに)如花(はなのごと)咲而立者(さきてたてれば)玉桙乃(たまほこの)道徃人者(みちゆくひとは)己行(おのがゆく)道者不去而(みちはゆかずて)不召尓(めされずに)門至奴(かどにいたりぬ)指並(さしならぶ)隣之君者(となりのきみは)預(あらかじめ)己妻離而(おのづまかれて)不乞尓(こはなくに)鎰左倍奉(かぎさへまつる)人皆乃(ひとみなの)如是迷有者(かくまとへれば)容艶(ようえんに)縁而曽妹者(よりてぞいもは)多波礼弖有家留 (たはれてうける)
しなが‐とり【しなが鳥】:鳥「かいつぶり(鸊鷉)」の古名。一説に水鳥の総称とあり、『水』は水(スイ)・ 水(みず)の2種の読み方だが、慣習化してたかもしれない。
姿:[音] シ(呉・漢)[訓]すがた(表内)しな(表外)
『鎰』の字には少なくとも、鎰(イツ)・ 鎰(イチ)・ 鎰(かぎ)の3種の読み方が存在する。 たは・る 【戯る・狂る】:ふざける。たわむれる。
『有』の字には少なくとも、有(ユウ)・ 有(ウ)・ 有つ(もつ)・ 有る(ある)の4種の読み方が存在する。
『家』の字には少なくとも、家(コ)・ 家(ケ)・ 家(カ)・ 家(や)・ 家(うち)・ 家(いえ)の6種の読み方が存在する。
09 1739 反歌
09 1739 金門尓之(かなとにし)人乃来立者(ひとのきたてば)夜中母(よなかにも)身者田菜不知(みはたなしらず)出曽相来(いでぞあひける)
たな‐し・る【たな知る】:十分に知る。わきまえる。
かな‐と【金門】: (「かなど」とも。「かな」は、金属の意) 金属で扉や柱を補強した門。また、門。一説に、金属製の門のように堅固な門とする。
ところでこの珠名は、上総国の周淮郡(すえぐん)の人物であったらしく、豊かな胸とくびれた蜂のような腰を持つ晴れやかな女性であり、「蝶嬴娘子(すがるおとめ)」と呼ばれた。 そして、花が咲くように微笑み、立っていれば、道行く人は自分の行べきであった道を行かず、呼ばれもしないのに珠名の家の門に来TELという。 その家の隣の主人も、あらかじめ妻と別れて、頼まれないのに自分の家の鍵を珠名に渡すほどであった。 男たちが皆自分に惑うので、珠名は、たとえ夜中であっても、身だしなみを気にせずに、男達に寄り添って戯れたという。
09 1744 見武蔵小埼沼鴨作歌一首(武蔵国:埼玉県)
09 1744 前玉之(さきたまの)小埼乃沼尓(をさきのぬまに)鴨曽翼霧(かもぞはねきる)己尾尓(おのがをに)零置流霜乎(おちるしもかな)掃等尓有斯 (はらふにあらし)
『零』の字には少なくとも、零(レン)・ 零(レイ)・ 零(リョウ)・ 零る(ふる)・ 零れる(こぼれる)・ 零ちる(おちる)・ 零り(あまり)の7種の読み方が存在する。
『乎』の字には少なくとも、乎(ゴ)・ 乎(コ)・ 乎(オ)・ 乎(を)・ 乎(や)・ 乎(かな)・ 乎(か)の7種の読み方が存在する。
『掃』の字には少なくとも、掃(ソウ)・ 掃う(はらう)・ 掃く(はく)の3種の読み方が存在する。
『等』の字には少なくとも、等(トウ)・ 等(タイ)・ 等(ら)・ 等しい(ひとしい)・ 等(など)の5種の読み方が存在する。
掃う(はらう)+等(ら)=(はらう)
尓:[音】ニ(呉)ジ(漢)[訓]なんじ、しかり、その、のみ
『斯』の字には少なくとも、斯(ソ)・ 斯(シ)・ 斯(これ)・ 斯の(この)・ 斯く(かく)・ 斯かる(かかる)の6種の読み方が存在する。
旋頭歌(せどうか)は、奈良時代における和歌の一形式。『古事記』『日本書紀』『万葉集』などに作品が見られる。 五七七を2回繰り返した6句からなり、上三句と下三句とで詠み手の立場がことなる歌が多い。
頭句(第一句)を再び旋(めぐ)らすことから、旋頭歌と呼ばれ、五七七の片歌を2人で唱和または問答したことから発生したと考えられているけれど、蒸し麻呂は一人で詠作しており、人麻呂に倣ったものであろうか?
それにしても、ここを倭歌でなく旋頭歌で残した虫麻呂は、いかなる火の粉を払ったのであろうかと訝らざるを得ない。