倍俗先生
05 0800 令反或情歌一首[惑へる情を反(かへ)さしむるの歌一首] 并序〔并せて序〕
05 0800 或有人 知敬父母忘於侍養 不顧妻子軽於脱屣 自稱倍俗先生 意氣雖揚青雲之上 身體猶在塵俗之中 未驗修行得道之聖 盖是亡命山澤之民 所以指示三綱更開五教 遺之以歌令反其或 歌曰 [或は人あり。父母を敬ふことを知りて、侍養(じよう)を忘れ、妻子を顧みずして、脱屣(だっし)よりも軽みす。自ら倍俗先生と称ふ。 意気は青雲の上に揚るといへども、身体は猶塵俗の中に在り。いまだ修行徳道の聖を験さず。蓋しこれ山沢に亡命する民ならむ。 所以、三綱を指示し、更五教を開き、遺るに歌を以ちてして、その惑を反さしむ。歌に曰はく]
侍養:そばに付き添って孝養を尽くしたり、養い育てたりすること。
脱屣:はきものを脱ぎ捨てるように、愛着の念なく物を捨てさること。
『倍』の字には少なくとも、倍(バイ)・ 倍(ハイ)・ 倍す(ます)・ 倍く(そむく)の4種の読み方が存在する。
倍俗先生:俗に背(そむ)く先生。
さん‐こう ‥カウ【三綱】: 儒教で、人間の重んずべき君臣・父子・夫婦の三つの道をいう。
ご‐きょう〔‐ケウ〕【五教】 読み方: 儒教でいう、人の守るべき五つの教え。君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友(ほうゆう)の信の五つとする説(孟子)
05 0800 父母乎(ちちははを)美礼婆多布斗斯(みればたふとし)妻子美礼婆(めこみれば)米具斯宇都久志(めぐしうつくし)余能奈迦波(よのなかは)加久叙許等和理(かくぞことわり )母智騰利乃(もちどりの)可可良波志母与(かからはしもと)由久弊斯良祢婆(ゆくへしらねば)
ももち-どり 【百千鳥】:数多くの鳥。いろいろな鳥。
かからは・し 【懸からはし】:ひっかかって離れにくい。とらわれがちだ。
与:[音] ヨ (呉・ 漢)[訓]あた-える (表内 )くみ-する、あずか-る、と、か、や、かな、とも-に、ため-に、よ-りは、むた(表外 )
宇既具都遠(うけぐつを)奴伎都流其等久(ぬきつるごとく)布美奴伎提(ふみぬきて)由久智布比等波(ゆくちふひとは)伊波紀欲利(いはきより)奈利提志比等迦(なりでしひとか)奈何名能良佐祢(なのらさね)阿米弊由迦婆(あめへとゆかば)奈何麻尓麻尓(なまにまに)都智奈良婆(みやこぢならば)大王伊摩周(おういます)許能提羅周(もとよくてらす)日月能斯多波(ひつきのしたは)
うけ-ぐつ 【穿け沓】:穴のあいたはきもの。
ぬき・つ【▽脱きつ】 :《「ぬ(脱)きう(棄)つ」の音変化》脱ぎ捨てる。
ちふ : …という。
いは-き:【石木・岩木】 : 岩石や木。多く、心情を持たないものをたとえて言う。
『奈』の字には少なくとも、奈(ナイ)・ 奈(ナ)・ 奈(ダイ)・ 奈(ダ)・ 奈ぞ(なんぞ)・ 奈ぞ(いかんぞ)・ 奈(いかん)の7種の読み方が存在す.
『何』の字には少なくとも、何(カ)・ 何(なん)・ 何(なに)・ 何れ(いずれ)・ 何く(いずく)の5種の読み方が存在する。
『名』の字には少なくとも、名(メイ)・ 名(ミョウ)・ 名(ベイ)・ 名(な)の4種の読み方が存在する。
奈(ナ)+何(なん)+名(な)=(な)
な 【汝】: 代名詞 そなた。おまえ。▽対称の人称代名詞。目下の者や親しい者に対して用いる。 まにま-に 【随に】:…に任せて。…のままに。
『許』の字には少なくとも、許(コ)・ 許(ク)・ 許(キョ)・ 許す(ゆるす)・ 許(もと)・ 許り(ばかり)の6種の読み方が存在する。
『能』の字には少なくとも、能(ノウ)・ 能(ナイ)・ 能(ドウ)・ 能(ダイ)・ 能(タイ)・ 能(グ)・ 能(キュウ)・ 能くする(よくする)・ 能く(よく)・ 能き(はたらき)・ 能う(あたう)の11種の読み方が存在する。
阿麻久毛能(あまくもの)牟迦夫周伎波美(むかふすきはみ)多尓具久能(たにぐくの)佐和多流伎波美(さわたるきはみ)企許斯遠周(きこしをす)久尓能麻保良叙(くにのまほらぞ)可尓迦久尓(かにかくに)保志伎麻尓麻尓(ほしきまにまに)斯可尓波阿羅慈迦 (かにはあらじか )
むか-ぶ・す 【向か伏す】: はるか向こうの方に横たわる。▽広大な土地をほめていう。
多邇具久(たにぐく)は、日本神話に登場する神である
『斯』の字には少なくとも、斯(ソ)・ 斯(シ)・ 斯(これ)・ 斯の(この)・ 斯く(かく)・ 斯かる(かかる)の6種の読み方が存在する。
『可』の字には少なくとも、可(コク)・ 可(カ)・ 可い(よい)・ 可し(べし)の4種の読み方が存在する。
斯く(かく)+ 可(カ)=(か)
この長歌は、まるで三つの段落を設けており、妻をなくし気落ちした旅人を、憶良が叱咤激励しているかのようだ。
05 0801 反歌
05 0801 比佐迦多能(ひさかたの)阿麻遅波等保斯(あまぢはとほし)奈保〃〃尓(なほなほに)伊弊尓可弊利提(いへにかへりて)奈利乎斯麻佐尓(なりをしまさに )
なほなほ-に 【直直に】 副詞 まっすぐに。素直に。
なり 【業】 名詞 生活のための仕事。家業。なりわい。
憶良がなぜこのような歌を作ったかについて、窪田空穂は次のように述べています。
「教訓を目的とした歌は特殊なものであり、それを敢えてしたのは、憶良としては作らずにはいられない必要を感じてのことと思われる。一つは彼の人柄からである。国家主義の儒教を奉じていた憶良から見ると、それとは反対な、個人の享楽を目的としている神仙道の如きは、極めて憎むべきもので、中央に盛行していたそれが、任国の筑前国に波及しているのを見ると、黙止することの出来ない衝動を受けたものと思われる。又それだけではなく、国守の職責の中には、管下の民を教導することが主なる一条として規定されているので、職務に忠実なる彼は、職責としてそうした者を善導しなくてはならないという心を抱き、それとこれと相俟って、例のない教訓を目的とした作を思い立ったことと解される」
確かに憶良の教養には頭が下がり、もちろん自分のことを鑑みての事であろうが、この倍俗先生は憶良自身の事よりも、旅人にささげた歌のように思える。
05 0802 思子等歌一首 并序
05 0802 釋迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 况乎世間蒼生誰不愛子乎[釈迦如来の、金口に正に説きたまはく「等しく衆生を思ふことは、羅睺羅の如し」と。又説きたまはく「愛(いつく)しびは子に過ぎたるはなし」と。 至極の大聖すら、尚ほ子を愛(いつく)しぶる心あり。況むや世間の蒼生の、誰かは子を愛(いつく)しびざらめや]
こん‐く【金口】: 仏語。釈迦 (しゃか) の口を尊んでいう語。転じて、釈迦の説法。
羅睺羅(らごら、梵/巴: Rāhula ラーフラ)は、仏教の開祖である釈迦の実子であり、またその弟子の一人である。
愛:[音]アイ, オ(呉)アイ(漢)[訓]め-でる、いつく-しむ、お-しむ、いと-しい、え、まな、かな-しい、う-い(表外)
そう‐せい〔サウ‐〕【蒼生】:多くの人々。人民。あおひとぐさ。
05 0802 宇利波米婆(うりはめば)胡藤母意母保由(こどもおもほゆ)久利波米婆(くりはめば)麻斯提斯農波由(ましてしぬはゆ)伊豆久欲利(いづくより)枳多利斯物能曽(きたりしものぞ)麻奈迦比尓(まなかひに)母等奈可可利提(もとなかかりて)夜周伊斯奈佐農 (やすいしなさぬ)
05 0803 反歌
05 0803 銀母(しろかねも)金母玉母(くがねもたまも)奈尓世武尓(なにせむに)麻佐礼留多可良(まされるたから)古尓斯迦米夜母(こにしかめやも)
妻:大伴郎女との間には子をなさなかったけれど、もう一人の妻:丹比郎女との間に、大伴家持(718?-785)・書持(?-746)、そして留女之女郎 (るめのいらつめ: 藤原継縄室)があり、その三人の子等のことを歌っているのだ。
05 0804 哀世間難住歌一首世間の住り難きを哀しびたる歌一首[世間の住(とどま)り難きを哀しびたる歌一首〕并序〔并せて序〕
『住』の字には少なくとも、住(チュ)・ 住(ジュウ)・ 住(ジュ)・ 住まる(とどまる)・ 住む(すむ)・ 住まう(すまう)の6種の読み方が存在する。
05 0804 易集難排八大辛苦 難遂易盡百年賞樂 古人所歎今亦及之 所以因作一章之歌 以撥二毛之歎 其歌曰[集ひ易く排ひ難きは八大の辛苦にして、遂げ難く尽し易きは百年の賞楽なり。 古人の嘆きし所は、今亦これに及けり。所以因りて一章の歌を作りて、二毛の嘆きを撥ふ。その歌に曰はく]
05 0804 世間能(よのなかの)周弊奈伎物能波(すべなきものは)年月波(としつきは)奈何流〃其等斯(ながるるごとし)等利都〃伎(とりつつき)意比久留母能波(おひくるものは)毛〃久佐尓(ももくさに)勢米余利伎多流(せめよりきたる )遠等咩良何(をとめらが)遠等咩佐備周等(をとめさびすと) 可羅多麻乎(からたまを)多母等尓麻可志(たもとにまかし)或有此句云 之路多倍乃(しろたへの)袖布利可伴之(そでふりかはし)久礼奈為乃(くれなゐの )阿可毛須蘇毘伎(あかもすそびき)余知古良等(よちこらと)手多豆佐波利提(てたづさはりて)阿蘇比家武(あそびけむ)等伎能佐迦利乎(ときのさかりを)等〃尾迦祢(とどみかね)周具斯野利都礼(すぐしやりつれ)美奈乃和多(みなのわた)迦具漏伎可美尓(かぐろきかみに)伊都乃麻可(いつのまか)斯毛乃布利家武(しものふりけむ)久礼奈為能(くれなゐの)一云 尓能保奈須(にのほなす)意母提乃宇倍尓(おもてのうへに)伊豆久由可(いづくゆか)斯和何伎多利斯( しわがきたりし)一云 都祢奈利之(つねなりし)恵麻比麻欲毘伎(ゑまひまよびき)散久伴奈能(さくはなの)宇都呂比尓家利(うつろひにけり)余乃奈可伴(よのなかは)可久乃未奈良之(かくのみならし)麻周羅遠乃(ますらをの )遠刀古佐備周等(をとこさびすと)都流伎多智(つるぎたち)許志尓刀利波枳(こしにとりはき)佐都由美乎(さつゆみを)多尓伎利物知提(たにぎりもちて)阿迦胡麻尓(あかごまに)志都久良宇知意伎(しつくらうちおき)波比能利提(はひのりて)阿蘇比阿留伎斯(あそびあるきし)余乃奈迦野(よのなかや)都祢尓阿利家留(つねにありける)遠等咩良何(をとめらが)佐那周伊多斗乎(さなすいたとを)意斯比良伎(おしひらき)伊多度利与利提(いたどりよりて)麻多麻提乃(またまでの)多麻提佐斯迦閇(たまでさしかへ)佐祢斯欲能(さねしよの)伊久陁母阿羅祢婆(いくだもあらねば)多都可豆恵(たつかづゑ )許志尓多何祢提(こしにたがねて)可由既婆( かゆけば)比等尓伊等波延(ひとにいとはえ)可久由既婆(かくゆけば)比等尓邇久麻延(ひとににくまえ)意余斯遠波(およしをは)迦久能尾奈良志(かくのみならし)多麻枳波流(たまきはる)伊能知遠志家騰(いのちをしけど)世武周弊母奈斯 (せむすべもなし)
05 0805 反歌
05 0805 等伎波奈周(ときはなす)迦久斯母何母等(かくしもがもと)意母閇騰母(おもへども)余能許等奈礼婆(よのことなれば)等登尾可祢都母 (とどみかねつも )
05 0805 神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定 筑前國守山上憶良[神亀五年七月二十一日、嘉摩郡にして撰定す。筑前国守山上憶良]
05 0806 伏辱来書 具承芳旨 忽成隔漢之戀 復傷抱梁之意 唯羨去留無恙 遂待披雲耳 歌詞兩首[伏して来書を辱くし、具に芳旨を承りぬ。忽ちに漢を隔つる恋を成し、復、梁を抱く意を傷ましむ。 唯だ羨はくは、去留に恙無く、遂に雲を披くを待たまくのみ。 歌詞両首]大宰帥大伴卿〔大宰帥大伴卿〕
05 0806 多都能馬母(たつのまも)伊麻勿愛弖之可(いまもえてしか)阿遠尓与志(あをによし)奈良乃美夜古尓(ならのみやこに)由吉帝己牟丹米(ゆきてこむため )
05 0807 宇豆都仁波(うつつには)安布余志勿奈子(あふよしもなし)奴婆多麻能(ぬばたまの)用流能伊昧仁越(よるのいめにを)都伎提美延許曽 (つぎてみえこそ )
05 0808 答歌二首
05 0808 多都乃麻乎(たつのまを)阿礼波毛等米牟(あれはもとめむ)阿遠尓与志(あをによし)奈良乃美夜古邇(ならのみやこに)許牟比等乃多仁 (こむひとのたに)
05 0809 多陁尓阿波須(ただにあはず)阿良久毛於保久(あらくもおほく)志岐多閇乃(しきたへの)麻久良佐良受提(まくらさらずて)伊米尓之美延牟 (いめにしみえむ )
なお、旅人の『報凶問歌』に、両君とあり、朝廷から石上朝臣堅魚が遣わされたおり、元正太上天皇と聖武天皇の手紙が添えられていたように思う。
神亀5年(728年)9月に基王に満1歳になる前に先立たれてしまい、聖武天皇には非藤原氏系で同年に生まれたばかりの安積(あさか)親王(728-744)しか男子がいない状況となった。