3世紀以前の日本には文字がなく、日本の歴史をたどるには、中国の歴史書による情報しかない。 その「魏志倭人伝」によると、30国ほどの小国が乱立していたことが記されている。 すなわち、239年(神功皇后摂政39年)卑弥呼が魏に遣使を送っており、この頃より正式に国交が行われていたのだ。 つまり、倭語だけでなく、交渉できるほどの『かんじ能力』を身に着けていたことになる。 ところが、57年(第11代垂仁天皇86年)には、倭の奴国王、洪武帝より金印(漢委奴国王)を授与されるとあり、すでに文化交流がなされていた。 285年(第15代応神天皇16年)中国から漢字が伝来という以前に、漢字は倭国に浸透しており、倭語もまた、モノと音で『かんじ状態』になっていたろうと思われる。