おほさざきのみことⅠ 髪長姫
応神天皇は、日向国(ひむかのくに)の諸県君(もろあがたのきみ)の娘で髪長比売(かみながひめ)という名の少女が、その容貌が端麗であるとお聞きになって、お側仕えをさせようとしてお呼び寄せになった。
そのとき、皇太子の大雀(おおさざき)は、その少女の船が難波津(なにわづ)に着いたのを見て、少女の容姿の整って美しいのに感動し、すぐに武内宿禰(たけしうちのすくね)の大臣に頼んだが、そこから始まった応神の歌謡が43・44と続き、そして皇太子が45を歌うのである。
美知能斯理(みちのしり)古波陀袁登賣袁(こはだをとめを)迦微能碁登(かみのごと)
岐許延斯迦杼母(きこへしかども)阿比麻久良麻久(あひまくらまく)
太子大雀命『古事記歌謡45』
《記において》
【美】[音]ミ(呉)ビ(漢)[訓]うつくしい
【知】[音]チ(呉)(漢)[訓]しる
【能】[音]ノウ(呉) [訓]あたう・よく・よくする
【斯】:[音]シ(呉)(漢)[訓]これ・この・かく
【理】[音]リ(呉)(漢)[訓]おさめる・きめ・ことわり
『古』の字には少なくとも、古(コ)・ 古(ク)・ 古す(ふるす)・ 古い(ふるい)・ 古(いにしえ)の5種の読み方が存在する。
【波】[音]ハ(呉)(漢)[訓]なみ
【陀】:[音]ダ(呉)タ(漢)
『袁』の字には少なくとも、袁(オン)・ 袁(エン)の2種の読み方が存在する。
【登】[音]トウ(呉)(漢)ト(慣)[訓]のぼる
『賣』の字には少なくとも、賣(メ)・ 賣(マイ)・ 賣(バイ)・ 賣(バ)・ 賣れる(うれる)・ 賣る(うる)の6種の読み方が存在する。
『迦』の字には少なくとも、迦(ゲ)・ 迦(ケ)・ 迦(キャ)・ 迦(カイ)・ 迦(カ)の5種の読み方が存在する。
【微】:[音]ビ(漢)ミ(呉)[訓]かすか
【碁】[音]ゴ(慣)キ(漢)
【岐】[音]ギ(呉)キ(漢)[訓]ちまた・わかれる
『許』の字には少なくとも、許(コ)・ 許(ク)・ 許(キョ)・ 許す(ゆるす)・ 許(もと)・ 許り(ばかり)の6種の読み方が存在する。
【延】[音]エン(呉)(漢)[訓]のびる・のべる・のばす・ひく
『杼』の字には少なくとも、杼(チョ)・ 杼(ジョ)・ 杼(ショ)・ 杼(ひ)・ 杼(どんぐり)・ 杼(とち)の6種の読み方が存在する。
【母】[音]モ(呉)ボ(慣)[訓]はは
【阿】[音]ア(呉)(漢)[訓]くま・おもねる・お
【比】[音]ヒ(呉)(漢)[訓]くらべる・ころ・たぐい
【麻】[音]マ(慣)[訓]あさ・お
【久】[音]ク(呉)キュウ(キウ)(漢)[訓]ひさしい
【良】[音]ロウ(ラウ)(呉)リョウ(リャウ)(漢)[訓]よい
一方『日本書紀』においても、 秋九月中旬、髪長媛は日向からやってきて、 摂津国(せっつのくに)の桑津邑(くわつのむら)に置かれた。
皇子の大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)は、髪長媛をご覧になり、その容貌の美しさに感じて、引かれる心が強かった。
天皇は大鷦鷯尊が、髪長媛を気に入っているのを見て、娶合わせようと思われた。
そこで天皇は歌われる(35)のだが、次に皇子が歌われ(36)、中睦ましくなった姫に向かっても歌われ(37)たのがこの歌謡である。
彌知能之利(みちのしり)古破儾塢等綿塢(こはノをとめを)伽未能語等(かみのごと)
枳虛曳之介逎(きこへしかしド)阿比摩區羅摩區(あひまくらまく)
大鷦鷯尊『日本書紀歌謡37』
《紀において》
【弥〔彌〕】:[音]ミ(呉)ビ(漢)[訓]や・いや・いよいよ
『之』の字には少なくとも、之(シ)・ 之く(ゆく)・ 之(の)・ 之(これ)・ 之の(この)の5種の読み方が存在する。
【利】[音]リ(呉)(漢)[訓]きく・とし
【破】[音]ハ(呉)(漢)[訓]やぶる・やぶれる・われる
【儾】:[音]ドウ・ノウ
『塢』の字には少なくとも、塢(オ)・ 塢(ウ)の2種の読み方が存在する。
【等】[音]トウ(呉)(漢)[訓]ひとしい・ら・など
【綿】[音]メン(呉)[訓]わた
【伽】[音]ガ(呉)カ(漢)キャ(慣)[訓]とぎ
【未】[音]ミ(呉)ビ(漢)[訓]いまだ・いまだし・まだ・ひつじ
【語】[音]ゴ(呉)ギョ(漢)[訓]かたる・かたらう・ことば
『枳』の字には少なくとも、枳(シ)・ 枳(ギ)・ 枳(キ)・ 枳(からたち)の4種の読み方が存在する。
【虚】[音]コ(呉)キョ(漢)[訓]むなしい・うそ・そら・から・うつけ・うつろ・うろ
【曳】:[音]エイ(呉)(漢)[訓]ひく
【介】[音]ケ(呉)カイ(漢)[訓]すけ
『逎』の字には少なくとも、逎(シュウ)・ 逎い(つよい)・ 逎い(ちからづよい)・ 逎る(せまる)の4種の読み方が存在する。
【摩】[音]マ(呉)[訓]する・さする・こする
【区〔區〕】[音]ク(呉)(漢)[訓]まち
【羅】[音]ラ(呉)(漢)[訓]うすぎぬ
「古事記を基として、日本書紀を合わせてみると・・・」
美知能斯理[彌知能之利]古波陀袁登賣袁[古破儾塢等綿塢]迦微能碁登[伽未能語等] 岐許延斯迦杼母[枳虛曳之介逎]阿比麻久良麻久[阿比摩區羅摩區]
みち‐の‐しり【道の後/道の尻】:都から下る道中の地方を二つまたは三つに分けたときの、最も都から遠い地方。
「2句目の陀(だ)と儾(ノ)、つまり(こはだをとめを)と(こはのをとめを)ではイメージの浮かぶ浮かばないがありますね」
安万侶は少し間をおいて説明をした。
「こ-は 【此は】とは分類連語で、(の)を続けることで、(これがあの乙女を)と呼びかけたのだが、(を)はもちろん感動・詠嘆だから、”これこそがあの乙女だよなぁ”と言ったところか」
「3句目はスルーするにしても、4句目は、杼母(ども)と逎(シ)で、このままだと書紀では一文字不足ですよね」
「書紀の4句目は、(きこへしかし)とし、その《終助詞》(かし)は、文の言い切りの形に付き、強く念を押しているかのように、“確かに聞こえたんだよなぁ”というわけで、自分に言い聞かせているのかもしれないのだが、そこに《接続助詞》(ど)を添加する」
枕(まくら)枕(ま)・く :枕として寝る。
「つまり、(きこへしかしど)というわけで、“聞こえたけれど”、(あひまくらまく)というわけですね」
「これがすなわち、仁徳天皇(第16代)がまだ皇太子のころ、父の応神天皇(第15代)から、日向の髪長媛を譲り受けられた顛末ということだ」
みちのしり こはだをとめを かみのごと きこへしかども あひまくらまく
みちのしり こはノをとめを かみのごと きこへしかしド あひまくらまく
古事記は卒なく歌われているようだけど、日本書紀には感情移入が見てとれる。
ところがここに、この一連の物語は、古事記の歌謡は、43(天皇)からはじまり、44(天皇)と続き、この45(太子)を経た後も、46(太子)が歌われており、そして日本書紀の歌謡でも、35(天皇)から始まるのだが、次は太子が36、そしてこの37、さらに38まで歌い上げ、この物語を締めている。
「そこで疑問なのですが、なぜ古事記の応神記で天皇である歌謡44が、日本書紀の応神紀では、太子の歌謡36になっているのでしょうか?」
「とりあえずは、44(古事記)と36(日本書紀)の、歌謡合わせをしてみよう」
「しかし、事記44の天皇の歌謡は9句であるのに、書紀36の太子の歌謡は10句を数えます」
「この歌は似て非なるものというより、まるっきる別物だと考えた方がよく、張り合わせるのじゃなく、大手術と心得てた方がよろしい」