スサノオノミコト

 

須佐之男が初めて須賀の宮をお造りになったとき、その地から盛んに雲が立ち登ったので、御歌を詠んだ。

《古事記の歌謡1》

夜久毛多都(やくもたつ) 伊豆毛夜幣賀岐(いづもやへがき)」(八雲立つ出雲八重垣) 「都麻碁尾爾(つまごみに) 夜幣賀岐都久流(やへがきつくる) 曾能夜幣賀岐袁(そのやへがきを)」(妻籠みに 八重垣作る その八重垣を)

 

《記において》

 【夜:[音]ヤ(呉)(漢)[訓]よ、よる

・久:[音]ク(呉)キュウ(漢)[訓]ひさしい

・毛:[音]モウ(呉)[訓]け

・多:[音]タ(呉)(漢)[訓]おおい

・都:[音]ツ(呉)ト(漢)[訓]みやこ、すべて

・伊:[音]イ(呉)(漢)[訓]これ、かれ、ただ

・豆:[音]ズ(呉)トウ(漢)[訓]まめ、たかつき

・幣:[音]ヘイ(漢)[訓]ぜに、ぬさ、みてぐら

・賀:[音]ガ(呉)[訓]よろこぶ

・岐:[音]ギ(呉)キ(漢)[訓]わかれる、ちまた

・麻:[音]マ(慣)[訓]あさ、しびれる

・碁:[音]ゴ(慣)キ(漢)[訓]ご?

『尾』の字には少なくとも、尾(ミ)・ 尾(ビ)・ 尾(お)の3種の読み方が存在する。

・爾:[音]ニ(呉)ジ(漢)[訓]なんじ、その

・流:[音]ル(呉)リュウ(漢)[訓]ながれる、ながす

【曽〔曾〕】ゾ(呉)[音]ソウ(漢)[訓]かつて すなわち

・能:[音]ノウ(呉)[訓]あたう、よく、くする、はたらき

『袁』の字には少なくとも、袁(オン)・ 袁(エン)の2種の読み方が存在する。

 

「《尾:[音]ビ[訓]お》をなぜ、ミと訓まれたのですか?」

「実は、仏具の払子(ほっす)のことを、麈尾(しゅみ)とも呼ばれてたんだよ」

阿礼に、そのことを気づかされたと、安万侶は言う。

「つまり、《妻「ごみ」として、上二段動詞「こ(籠)む」の連用形の音変化》というわけだ」 「確かにこの歌謡なら、イメージが浮かんできますよね」

「ところが、大筋は同じことなのだが、紀の歌謡では、漢字に若干の違いがあるのだ」

 

ついには、出雲の須賀に着かれ、そこで、「ああ、私の心は清々しい」と言われ、そこに宮が建つ。

《日本書紀の歌謡1》

夜句茂多兔(やくもたつ)伊弩毛夜霸餓岐(いドもやへがき)兔磨語昧爾(つまごメに)
夜覇餓枳都倶盧(やへがきつくる)贈廼夜覇餓岐廻(そのやへがきカ)

 

《紀において》

【夜:[音]ヤ(呉)(漢)

・句:[音]ク(呉)(漢)

・茂:[音]モ(呉)ボウ(漢)

・多:[音]タ(呉)(漢)

・兔(兎): [音] ツ(呉)ト(漢)

・伊:[音]イ(呉)(漢)

・弩:[音]ド(漢)

・毛:[音]モウ(呉)

『霸』の字には少なくとも、霸(ヘ)・ 霸(ヒャク)・ 霸(ハク)・ 霸(ハ)の4種の読み方が存在する。

・餓:[音]ガ(呉)(漢)

・岐:[音]ギ(呉)キ(漢)

・磨:[音]マ(呉)

・語:[音]ゴ(呉)ギョ(漢)

『昧』の字には少なくとも、昧(モン)・ 昧(メ)・ 昧(マイ)・ 昧(ブン)・ 昧(バイ)・ 昧い(くらい)の6種の読み方が存在する。

・爾:[音]ニ(呉)ジ(漢)

・枳:[音]キ、シ(呉)(漢)

・都:[音]ツ(呉)ト(漢)

・倶:[音]ク(呉)(漢)

・盧:[音]ル(呉)ロ(漢)

・贈:[音]ゾウ(呉)ソウ(漢)

『廼』の字には少なくとも、廼(ノ)・ 廼(ナイ)・ 廼(ダイ)・ 廼(の)・ 廼(なんじ)・ 廼ち(すなわち)の6種の読み方が存在する。

・廻:[音]エ(ヱ)(呉)カイ(クヮイ)(漢)】

 

「なぜ微妙な違いが生じたのですか?」
アドバイザーの安万侶としては、『日本書紀』にあっては、できるだけ漢音を用いたかった。
「まず1句目だが、【久と句】は、書紀は漢音を用いたつもりだが呉音でもあり、ほかに【区〔區〕・倶・駆〔驅〕・躯〔軀〕・矩】などの共通項がある」
「ところが、(も)のすべての漢字【茂・摸・母・模】は呉音しかなかったというわけですよね」
「その中で【茂】を選んだは、最初の【夜】にあるんよ」
「【夜句茂】の【夜】(ヨル)とはどういうことですか?」
「その字並びに、美しい漢詩が想像できるってもんじゃないか」
「それはそうですが、次に続く【多】は良しとして、【兔】の漢音は(ト)ですよね」

「確かに、【兔(兎)】は([音]ト(漢)[訓]うさぎ)なのだが、 ウサギは月にいるという伝説から、月の異名でもあるんよ」

「それはまた、大胆な訓みですけど、2句目はいかがでしょうか?」

 

「【伊豆毛】と【伊弩毛】では、視点が大きく違ってくるけれど、【豆】を漢音で訓み、(いトもやへがき)ではピンと来なかったというわけだ」

「それではっきりと、”異土(いど)も”にしたことで、スサノオにとってはもちろん、出雲の須賀は、姫にとっても育った土地ではなく、そこで新婚生活を始めようというわけですね」

 

「そして3句目が、【碁尾爾】と【語昧爾】になるのだが、その前に、【磨】(マ)の説明もしておかなくては・・・」

「確かにこれも、漢音ではありませんね」

「ほかに、慣や訓ならあるのだが、それらは基本的に禁字にしてるので、【魔・摩】が共通項である呉音から選んだけど、ただ、唐音には【馬】があった」

 

「ところが、何よりも【兔磨】が、美しい漢詩的イメージだということですね」

「あたかも(ツマ)が、磨かれた鏡に映し出されてるようではないか」

「それほどまでにあなたが詩人であり、ロマンティストっだとは思いませんでしたが、【語】の漢音は(ギョ)ですよね」

「実は(ゴ)の漢字は多くあり、ややこしいけれど、まず【御[ゴ(呉)ギョ(漢)]】は【語】と同じ、そして【呉・誤・伍・娯・梧・悟・午・五[ゴ(呉)(漢)]】のくくりがあり、ほかにも呉音なら、詳しいことは省くけれども、【瑚・后・胡・互・護・期】と続くけれど、唯一の漢音に【吾】がある」

 

【吾】:[音]ゴ(漢)[訓]われ・わが

 

「たしかに、『吾』の字には少なくとも、吾(ゴ)・ 吾(ゲ)・ 吾(ギョ)・ 吾(ガ)・ 吾(われ)・ 吾が(わが)の6種の読み方が存在し、ワレを含んでは困惑しますね」

「それは【御】(ギョ)の接頭語も一緒で紛らわしく、さらに【吾・呉】の旁(つくり)や数字、干支なども避けた」

「ということは、結局これも、これも漢詩のイメージというわけですか?」

「兔磨語(ツマゴ)であれば、美しく語ってくれるではないか?」

 

「それはそれとして、(ごみに)と(ごめに)はいかがなものでしょうか?」

「すなわち、(つま-ごみ) 【妻籠み】:(妻を住まわせること。一説に、夫婦が一緒に住むこと)だが、【妻籠め】ともいうんよ」

「4句目はスルーするにしても、5句目に【贈廼夜覇餓岐廻】(そのやへがきか)ですか?」

「これもまた、漢詩的イメージだと思ってもらえればよいのだが」 

「此処にも、【夜】が訪れて、【廻】(めぐる)というわけですか」