蛸地蔵

岸和田市(紀州街道)

 
岸和田市に入ると、まもなく春木川をわたる。この春木町で有名なのは競輪だけではない。もっと有名な奴がいた。その名をカオルという。

「いつまでも泣いていたら、カオルちゃん来るで。ほら来た来た」
母のオッパイをすいながら、何度も聞かされた言葉である。そのたびに私はピタリと泣きやんだという。
             (中場利一『岸和田のカオルちゃん』)

 これだけではどんな奴かわからない。しかし、この本を読めばとんでもない奴であることがすぐわかる。
 「くわー、ぺっ!」これがカオルちゃんが登場する一声である。商店街の真ん中にはカオルラインと呼ばれる黄色い線がひかれている。ヨチヨチ歩きの赤ちゃんから、サイレンを鳴らして走るパトカーまで、みんな道のハシッコによって道をあける。ついうっかりしてボーとこのラインに立っていたら再起不能になる。警察だけじゃない、ひとりで機動隊とも遣り合う、とんでもない奴なのだ。

 

ところが、もっと凄い奴がいた。

この岸和田で育った、世界的デザイナー:コシノ三姉妹(ヒロコ・ジュンコ・ミチコ)の名前ぐらい聞いたことがあるだろう。
この三姉妹の“おかあちゃん”こそ、NHKの朝ドラ『カーネーション』(2011年)の主人公、小原糸子のモデル小篠綾子である。

 

糸子は、布に包まれていたそれを呆然と見つめた。さっき、店の上がりかまちでつまずいた細長い板状のもの。それは、「小原洋裁店」と書かれた新しい看板だった。

                                                                       (渡辺あや『カーネーション』)


この日(昭和9年2月)から、父親の呉服店が娘の洋裁店になったのである。
そしてその看板は、数ヵ月後の桜の時期に、屋根に上がった。

 コシノ洋裁店
 
コシノ洋裁店
 

  これが、世界的デザイナー“コシノ三姉妹”の母、小篠綾子のひとり立ちであった。
小説では昭和12年1月、結婚していた糸子(綾子)は、「オハラ(コシノ)洋装店」として新装開店をしたことになっている。

この洋裁店が今、五軒家町の岸和田駅(南海電車)前商店街に、コシノギャラリーとして、昭和初期の外観を再現しながらオープンしているのだ。


そしてこの二階に上がれば、ドラマ(NHK朝ドラ『カーネーション』2011年)のシーンにもある、コシノ一家が窓から“だんじり”を眺める、「コシノファミリーごっこ」をすることができるんよ。
もちろん、“だんじり”の日には、あの三姉妹がかならず戻ってきていると云うのだが・・・。

欄干橋

ふたたび紀州街道に戻った道の旅人は、欄干橋をわたっていく。橋の下には古城川が流れ、上手の橋を茜屋橋(あかねやばし)下手の橋は船津橋と呼ばれ、遠い昔の繁華街であった。
そしてこの橋は、“元禄・享保頃の紀行文に「ぎぼしのある橋」、天保頃の地図には「欄干橋」、また文化文政頃の文書には「魚屋町橋」と書かれたりしたのだ。


♪石の欄干橋ドンと踏めば にくや雪駄の 緒が切れた♪

 

ここを過ぎれば、“カオル伝説”のだんじりが見せ場をつくる、“こなから坂”に出くわす。

“だんじり”の醍醐味は、何といっても“やりまわし”で、人を惹きつけるのが大工方である。

            

まちづくりの館の“厠” ところでこの岸和田の由来であるが、建武元年(1334年)、楠木正成が甥の和田新兵衛高家を代官として、元々『岸』という地名であったこの地に、移り住まわせたことで、“岸の和田”と言うようになったんよ。

 この岸和田に入ると、“千亀利”(当て字)という文字をよく見かける。これは岸和田城の別名で、本丸と二の丸を重ねた形が、機のたて糸をまく道具の「ちきり」に似ているからだ。


 今もなお紀州街道沿いには、昔ながらの民家や商家が並んでいる。その御城下に、“まちづくりの館”がある。その目印となるのが“厠”なのだが、観光客の休憩所として活用され、お茶の無料サービスなども受けられる。(利用時間 AM9:00~PM9:00)。

 さらに進むと、この岸和田を災いから守る蛸地蔵(天性寺)に出会う。そのエピソードの一つが、天正12年(1584)の出来事である。当時秀吉は、小牧長久手で、徳川家康と信長の子信雄の連合軍と対戦していた。その間隙をついて、強大な武力を誇る根来衆が岸和田城を包囲した。これに対して中村一氏は大坂城を預かる黒田孝高の援軍を得て根来衆を破ったが、その後再び根来衆は和泉に進出、各地に砦を築いて岸和田城攻めの機会をうかがっていた。

 そこへ、紀州地侍団が一万挺以上の鉄砲をそろえて北上を開始したという。
 その報があった翌日、中村・黒田らは岸和田で紀州方に負けて潰走した、という急報が秀吉のもとにもたらされた。          
(司馬遼太郎『尻啖え孫市』)

 蛸地蔵駅のステンドグラス

 宗徒を敵にまわしての戦いに勝つためには、宗派を超えて、誰からも愛されるお地蔵さんが必要であった。そこで登場したのが“蛸地蔵”であったわけだ。その様子が、蛸地蔵駅(南海電車)のステンドグラスに描かれている。親ダコと子ダコが、根来衆を蹴散らしているのだが、わかるだろうか?
 タコって、当時から身近なもので、民衆に愛されていたのかもしれない。しかし、道の旅人にとってはつらい。いくら御利益があっても、願をかけたら“たこ焼き”が食えなくなるなぁと思いながら、次の町に向かった。