西蔵法師
大和川を渡ると堺市に入り、紀州街道はそのまま大道筋へと向かうのだが、ここで是非とも寄り道をしてほしい。
なぜなら、鉄砲町の七道駅(南海本線)前で、山羊を連れた西蔵法師が待っているからだ。
この西蔵法師こそ、日本人として初めて、チベットへの入国を果たした河口慧海(1866~1945)である。
あたかも玄奘(三蔵法師)が、仏典の研究は原典に拠るべきであると考え、インドに向かったように、慧海はチベットを目ざしたのだ。
と言うのも、漢語に音訳された仏典に疑問をおぼえた慧海は、サンスクリット語(古代インド語)の原典から、そのまま逐語訳で翻訳した、チベット語の経典を入手したかったからである。
今までの漢訳された経典には、幾つもの違った経典があり、慧海としては、なんとかして正しいお経を求めたかったのだ。
こうして河口慧海は、サンスクリットの仏典やチベット語の経典を求めて、ネパール・チベットに入りその目的を果たした。
しかし持ち帰ったのはそれだけではなく、仏具・民具類は言うに及ばず、動植物・鉱物標本など多岐にわたっていたのだ。
河口慧海が生まれたのは、この近くの堺区北旅籠町西であり、その生誕の地から綾之町交差点まで辿れば、大道筋に出る。
ここから、御陵前交差点を結ぶ全長約2.5km、幅約50mの大通りは、自転車にも歩行者にも優しい道のりなのだ。
ここからは時間があれば、 道路中央を走る路面電車(阪堺電気軌道阪堺線)の駅名とともに、町名を口ずさんでほしいものだ。
間もなくすると、櫛屋町西にザビエル公園が見えてくるから、是非対峙してほしい詩碑があるんよ。
てふてふが一匹鞭靼海峡を渡って行った (安西冬衛『春』)
これを口にするだけで妙に力が湧いてくるんよ。
次にここから、堺市の人々にいちばん愛されている歌人与謝野晶子の生家、和菓子屋“駿河屋”に向かう。
宿院駅に近いけれど、甲斐町西に位置し、その老舗は、この大道筋を横切っていた。
そこには、23年間過ごした、晶子の少女時代を詠んだ歌碑がある。
海こひし潮の遠鳴りかぞへつヽ少女となりし父母の家
ところで今この遠鳴りを聴くため 、国の史跡に指定された、現存する最古の木製様式の、旧堺灯台(大浜北町)へ向かってみるのも良いだろう。
ただ夜を待つのは怖いけれど、その最寄駅になる、堺駅(南海本線)西口では、耳をそばだてている晶子がいるのだ。
やがて旅人も、この晶子と別れ、フェニックス通りを東に上り、大道筋へと出た。
その交差点がチンチン電車の宿院駅にあたり、そこから寺地町駅・御陵前駅と進んだところで、船待神社を回り込み、一路南に向いて駈けて行った。